投稿日:2013年9月30日|カテゴリ:コラム

車の性能の進歩が著しい。私が運転し始めた頃(1960年代末)の車と今の車を比べると隔世の感がある。今では当たり前の各種装置が50年前の車には全く装備されていなかった。
例えばステアリング。現行車にパワーアシストの着いていない車はまずないだろう。軽く指先で回すことができる。私が車の運転を始めた1970年当時の車は基本的には自分の腕力でハンドルを回した。そのため、教習所の第一課程ではハンドル捌きにかなりの時間を割いた。
次にギアシステム。今はフェラリやポルシェのようなマニアックなスポーツカーを除いて、殆どの車がオートマティックトランスミッションだが、日本の乗用車に用いられるようになったのは1960年代になってからである。と言ってもはじめのうちはごく一部の車に使用されていたに過ぎない。本格的な普及は1980年代以降のこと。それまでは皆マニュアルミッション車だったから、足元のペダルは右からアクセル、ブレーキに加えてクラッチの3つが並んでいた。
右足がアクセルとブレーキを担当し、左足でクラッチ操作をする。ギアチェンジするたびに必要となるクラッチ操作はなかなか経験を必要する。ギアを変える前に踏み込んで伝達系をいったん切り、ギアを入れ替えた後にペダルを離して、伝達系を再びつなぐのだが、この際一気に足を離してしまうとタイヤからの抵抗の方が強くてエンジンの方がストップしてしまう。所謂エンストだ。そこで少しつながっているが半分くらい滑る状態、いわゆる半クラッチ状態を一瞬作って、徐々にクラッチを離していく。
上り坂からの発進時などはこの半クラッチ状態を少し長めにしないと抵抗が大きいためにすぐエンストしてしまう。教習所の過程中で、坂道発進は関門の一つだった。
ステアリングやトランスミッションほど目立たないが、驚くほど進化したのがブレーキ。1970年代には、今や常識になっているディスクブレーキは高級車の前輪にのみ使用されるだけであった。ディスクブレーキ=高級車だから、カタログには鼻高々に「ディスクブレーキ使用」と謳ったものだ。それまでのドラムブレーキだと非常にデリケートのペダルを踏まないと、ロックしてしまって大事故になった。
教習所では、下り坂、特に滑りやすい雪や雨の日の下り坂、または急ブレーキをかける際には、一気に踏み込むのではなくトントントンを何回かに分けて力を加えるポンピングと言う技術を叩き込まれたものだ。
今の車は単純に「エィ!」と踏み込みさえすれば、コンピュータで制御された油圧ブレーキシステムが、ロックせず、4輪のバランスを保ちながら、最高の効率で車を止めてくれる。安全性が飛躍的に向上したのだ。
安全性の向上を語る時、ブレーキの他にタイヤの進化を忘れてはいけない。昔の車に使われていたタイヤは、自転車のタイヤと同じように硬いゴムの中にもう一つ柔らかいゴムでできたチューブが入っていた。このチューブを空気で膨らませて車両を支えていたのだ。
だから、くぎを踏むとゴム風船のようにパーンと破裂してしまった。車は突然制御不能に陥る。高速度で走行している時はパンクだけで生死にかかわる事故につながった。
さらに外側のゴムの材質が悪かったことと道路整備状況が悪かったために、パンクが多発した。少し長距離のドライブをすれば、その途中で必ず1,2件、タイヤ交換のためにジャッキアップしている車を見かけたものだ。
それに比べて現在のチューブレスタイヤはまずパンクしない。もし釘が刺さったとしても、一気に破裂はせずに徐々に空気が抜けていく。ずいぶんと安全になったものだ。
以上のような基本性能だけでなく、数多くの付加価値が付け加えられた。エアコンディション、パワーウインドウ、シートヒーター、サイドドアミラー、オートヘッドランプシステム等々。そしてなんといってもドライブの負担を大きく軽減したのがナビゲーションシステムの導入だ。
こうして今や車の運転は前を見て片手をハンドルの上に置き、右足でアクセルとブレーキを踏むだけのものになった。昔はそうはいかない。両手でハンドルを握り(少なくとも右手は片時もハンドルから離せなかった)、左足はクラッチペダルを操作し、右足でアクセルとブレーキのペダルを操る。そして左足のクラッチ操作と同期して左手でギアチェンジをする。さらに見知らぬ土地へ行く場合には助手席に地図帳を開いて要所要所で自分のいる場所を確認しなければならなかった。ドライブそのものが一つの冒険的な行為だったのだ。

これだけ車の性能が向上したのだから、事故は大幅に減少してよいはずだ。ところがそうではない。シートベルトやエアバッグシステムの導入で、確かに死亡事故は減ったかもしれないが、追突事故はむしろ増えているのではないだろうか。その理由は、車の性能の進化に反比例して、いやそれ以上に運転技術が退化したからなのではないだろうか。
初めから簡単に操作できる車しか運転したことがない人たちは、ハンドル操作、ブレーキのタイミングなどに無頓着で、運転の危険性を実感していない。テレビゲーム感覚でただアクセルとブレーキを踏んでいるだけのように見える。だから、予想しなかった状況になると全く対処することができない。積雪の下り坂でも強いブレーキを踏む。コーナーに入ってからブレーキを踏む。雪道で急発進しようとする。ジャッキアップはできない。そもそもジャッキがどこにあるのかさえ知らない人が多いのではないだろうか。
中でも特に目に余るのが高速道路走行。低速車は左、右車線は追い越し時だけ使うという大原則を守っている車は皆無と言っていい。低速でいつまでも追い越し車線を走っていると自然渋滞を生むだけでなく、左からの追い越しを強いられて大事故につながる危険がある。
もっとも恐ろしいのが適当な車間距離をとらない車が多いこと。まるでサーキットでスリップストリーム走法をしているかのように、130km/h以上の速度で先行車の後ろにピタリと張り付いて走る奴が少なくない。いくらブレーキ性能が上がったとはいえ、慣性の法則は不変。高速度で動いている物が止まるまでには一定の時間がかかる。前の車が絶対に減速しないと確信しているのだろうか。万が一、先行車が急ブレーキを踏んだら追突は必至だ。事実、高速道路における追突事故は絶えない。
昔、カーレーサーをしていた友人の車に同乗して、都内を走ったことがある。あまりゆっくり走るのでイライラして「もっとスピード出せよ」と言ったところ、彼が「サーキットなら一定以上の技量をもったものが、暗黙のルールを守って走っているからスピードを出しても安心だけど、街の中はどんな気狂いが走っているかわからないから怖くてしょうがない」と言ったことを思い出した。
車の性能の向上に伴って、街には彼の言う気狂いドライバーが急増したように思う。彼らが勝手に自損事故を起こすぶんには知ったことではないが、巻き込まれたならばたまらない。
私たちは車が殺人マシーンであること。そしてその殺傷能力が向上し、それに反比例して自分たちの運転技術が低下していることを深く自覚すべきだ。

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