投稿日:2013年7月1日|カテゴリ:コラム

中国で、羊の肉と偽って実際には犬や鼠の肉を売っていた肉屋が摘発されたというニュースを聞いた。逮捕された業者は「本当の羊肉は高くて儲けが出ない」と悪びれていないという。
中国の故事から出た四字熟語に「羊頭狗肉」がある。羊の頭を看板に掛けながら、実際には犬の肉を売る意である。彼の国では偽の羊肉を売る商売が四千年の伝統のようだ。
この「羊頭狗肉」、今やご本家中国に限らず、我が国にも日常的に横行している。観光地のお土産物にはこの羊頭狗肉が少なくない。立派な木の箱に入ってたいそう高価に見える。ところが開けてみてびっくり。まず箱の木の厚さ。名産品の珍味を入れるのに何でこんな立派な木材を使うのだろう。しかも、中は段ボールで上げ底になっている。ビニールの袋に入った肝心の中身はよくもこれほど平べったく伸ばしたものだと驚くほど厚みがない。なんのことはない、実際のお土産はほんの数10g。大半は木箱と空間なのだ。
もう慣れっこになってしまったが、コンビニのサンドイッチもかなりのものだ。数枚のハムとレタスが切り口に見えるサンドイッチを買う。いざ食べようと袋を開けるとパンの端の方が急激に痩せている。おそるおそるパンを剥がしてみると、ハムとレタスが挟まっているのは切り口付近だけ。残る広範囲の部分はバターサンドだ。
土産物やサンドイッチに限ったことではない。多くの商品が見せかけを良くすることに汲々としている。こういう風潮を生み出す原因は生産者の強欲さだけにあるのではなく、消費者が見てくれを重視するからなのではないだろうか。消費者が実際の価値を見抜く力を持たず、見てくれを重視するから、生産者はその要求にこたえているに過ぎないのだと思う。
いくら味がおいしくても、曲がったキュウリが売れないのだから、農家は味よりも形をそろえることに一生懸命になる。腐ったものかどうかの識別もできないから、賞味期限などというばかげた表示を必要とする。つまり羊頭狗肉が横行するのは、すべて我々に犬の肉と羊の肉を見分ける能力がないことに起因するのだ。

さて「羊頭狗肉」は現在では転じて、見せかけや表面と、実際・実質が一致しないことを言う。良品と見せかけたり、宣伝は立派だが、実際には粗悪な品を売ったり、立派なことを言っておきながら、裏では悪事をしたり、何にもしなかったりすることを言う。
近頃の政治家、公約時には民衆受けのする甘言を並べ立てるが、いったん政権についてしまったら自分たちの権力や利益を維持、拡大することばかりに汲々とする者ばかりだ。政治家の言行不一致には何度もひどい目にあって、もう目が肥えたはずなのに、選挙のたびに騙されてしまう。斯く言う私も、前回の総選挙では鳩ポッポ民主党にすっかり騙されてしまった。
行政を預かる官僚の羊頭狗肉ぶりにも目に余るものがある。耳触りのよい政策の実態は己たちの利権拡大だ。我々国民に大増税を強いた東日本大震災復興予算の1兆円にも及ぶ、でたらめな流用と、それに対するへ理屈にもならない言い訳がその典型といえよう。
このところ政治家や官僚のネット上の舌禍が相次いでいる。ツィッターが世界中で見られていることを忘れてしまって、醜い本音を曝け出してしまうらしい。しかし、こういう現象は私たちにとっては朗報と言える。全部の犬の肉を見破ることはできないにしても、腐った(馬鹿な)犬の肉だけは見分けることができるからだ。

私は、アベノミクスは相当に羊頭腐れ肉のように思うのだが、この掛け声に糠喜びしている人が多い。地に足をつけて考えてほしい。国がデフォールトしてから気付くのでは遅いのだから。
国民は、大向こうを唸らす見栄ばかりに磨きをかけている総理大臣や大阪市長の見せかけに騙されることなく、彼らの隠している悪意を見抜く力を養おう。そうでないと、国民は政治家や官僚たちに一層馬鹿にされて、辛酸を味わうことになる。

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