投稿日:2013年5月20日|カテゴリ:コラム

私はこれと言って他人に自慢できる特技を持っていない。一方、不得手なものと言えばいくらでも上げられる。その中でも極めつけのへぼはゴルフだ。
ゴルフの才能のある人は、初めて数か月で100を切り、1年もすると90以下のスコアを出せるようになると聞く。しかし私はクラブを握ってもはや20年近くになろうというのに、未だに120以上のスコアを叩くことがある。コースデビューしたての人はさておいて、これまでご一緒したゴルファーの中で私より下手な人を見たことがない。
一方、家内は時には70台で回ってくるほどの腕の持ち主。倶楽部の友人から以前、「西川さんはえらいね。」と感心されたことがある。何が偉いのかというと、ほとんどの男性ゴルファーは女房に追い越されるとゴルフをやめてしまうのだそうだ。ところが、私の場合には追い越されるどころか、これまでに一回だって先を行ったことがない。それでもめげずにゴルフ場に来るのが偉いということだった。どう考えても褒められてはいない。
私がそれでもゴルフを止めずにいるのは、家内を含めて、気のおけない人と一日自然の中でワイワイおしゃべりしながら楽しい時間を過ごせるからだ。特に最近は家内と二人でラウンドすることが多くなったが、それとともに夫婦円満になったようにも思う。とても大事な生活の潤滑油となっている。
とはいうものの、稀代のへぼゴルファーを自認しているとはいえ、少しは上手くなりたい、良いスコアで回りたいという希望を捨てているわけではない。自分なりに工夫をして、「今度こそは」と挑むのだが、そのたびに落胆度が増す。
どうやらへぼの一番の原因は気持ちが体力や技術に追いつかないことにあるようだ。それが証拠に、己の技量を超えた期待をして構えた途端に、上半身にばかり異様な力を込めてしまう。結果、球は右や左、あるいは地べたを転がる羽目になる。時には空振りして筋肉を傷めることさえある。ところが、林の隙間からの脱出やフェアウェイバンカーからの脱出といった、「とりあえず適当なところまで飛んでくれればよい」と考えた時に限ってナイスショット。
そうならば、「いつも適当に前に飛んでいけばよいと考えて打てばよいではないか」と言われるかもしれないが、そう簡単には意識改革できない。たまにティーショットがフェアウェイのど真ん中に飛んだりすれば、千載一遇のチャンスを逃してなるものかと200%の力瘤ができてしまうのだ。その瞬間に不幸な結末が決定されているにもかかわらず。

才能に恵まれないものがすがるのは運しかない。ところが皮肉なことに運というものは上手な人に廻って来る傾向がある。家内と二人同じように池すれすれのミスショットをしても、家内の球は池のふちギリギリを駆け上がって、なんとグリーの上に転がりあがる。一方、私の球は池の対岸にぶち当たって水の中に逆戻り。才能のない者には運の神様も振り返ってくれないようだ。

そこで、才能も運もない男が最後の手段として計画しているのが、カラスの協力を得ることだ。カラスの賢さはよく知られているが、その活躍の場は都会のゴミ集積所だけではない。ゴルフ場でもやりたい放題である。
Kカントリークラブの東の3番グリーン付近を縄張りにしているカラスなどは、カートの中においてあるポーチのジッパーを開いて、中にしまってあるキャンディーの包装紙を器用に開いて、中のキャンディーだけ咥えて行ってしまう。
また、カラスの知能は予想以上に高いので、生きていくために必要な衣食住以外のことにも興味を持つ。だから、いわゆる遊び心を持った悪戯が大好きだ。ゴルフ場での悪戯も日常茶飯事。せっかくグリーンに乗っかった球をいずこへともなく持ち去ったり、ガードバンカー内にドロップしたり。ほとんどが、人間にとって不都合な嫌がらせ。
しかし、もしこのカラスと何らかの方法で友好な関係を築けたら、スコアアップは間違いない。とんでもないところに打ってしまっても、「カアッ」とばかりに、フェアウェイの真ん中まで運んでくれる。ガードバンカーにぶちこんだはずの球がピンそば5ヤードにナイスオン。
私は元来動物好きで、今は特に猫にはまっている。感情は種を超えて伝わるものなのか、猫から好かれる方だと自負している。野良猫の夜の猫の集会に参加を許されたこともあるくらいだ。家族からは「猫たらし」と呼ばれるほどだ。しかし、猫だけが好きなのではない。犬をはじめ、動物全般が好き。小さい頃、空気銃で撃たれて飛べなくなったカラスを飼った経験もある。だから、何とかして仲良しカラスを作って、ゴルフ場で協力してもらえば、あっという間にシングルプレイヤーになれるのではなかろうか。
このアイデアを友人に話したところ、呆れ顔でこう言われてしまった。「カラスが運んだボールは元あった位置に戻さなければならない」、「だいたい、カラスを肩に乗っけてゴルフ場に来たら出入り禁止になるよ」、「そんなつまらないこと考えている暇があったらもっと練習しろよ」。
私の最後の頼みの綱の「カラス作戦」はこうして一蹴されてしまった。それでも、カラスとのコミュニケーションを諦めきれない私は、時々樹上のカラスに声をかけてみる。しかし、私の卑しく情けない下心を見透かしたかのように、カラスは見下すばかりで返事をくれない。

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