人間の知覚(感覚)は五感といい、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚(痛覚、触覚、温冷覚、圧覚、振動覚、位置覚)、の5種類が知られている。しかし実際にはこの他に内臓感覚や平衡感覚もある。さらには予知能力のような機能を第6感と称するが、この存在は未だ確かめられていない。
知覚機能の病気には反応性の異常と質的な異常とがある。前者は知覚麻痺あるいは知覚減弱および知覚過敏だ。つまり刺激に対する反応性が低下した状態あるいは反応性が亢進した状態。
質的な異常には2種類ある。一つは対象を誤って知覚する錯覚。錯覚は壁のシミが人の顔に見えたり、風の音を携帯の呼び出し音に聞き違えたりすること。これに対して、対象のない知覚が幻覚だ。実際には客観的な刺激が加えられていないのに何かを知覚してしまう。つまり、ない物が見えたり、誰もしゃべっていないのに声が聞こえる状態だ。
錯覚や幻覚はすべての知覚で起きうる。幻視、幻聴、幻味、幻嗅、幻触等々、実にさまざまな幻覚がある。ところが、統合失調症ではどういうわけか高率に幻聴が出現する。幻視、幻触、幻味、幻嗅も見られることがあるが、圧倒的に幻聴が多い。
これに対して、薬物性精神障害においては、アルコール中毒の時の「小人幻視」や「小動物幻視」のように、幻視が多く見られる。レビー小体型認知症における幻覚もやはり子供や動物などの幻視が多い。
統合失調症ではなぜ幻聴が多いのだろう。今の精神医学の主流であるドーパミン仮説などの神経伝達物質理論で言えば、幻視をはじめその他の幻覚がもっと見られてよい。それなのに、実際にはほとんどが幻聴なのだ。多くの学者がいろいろな説を唱えているが、未だ確証を得ない。
私は、幻聴が多い理由を、この病気の一次的障害が自我境界の崩れにあることと関係しているのではないかと考える。統合失調症では自分と他人の境界があやふやになる。自分が主体的にすることと受動的にさせられていることとの区別がつかなくなる。
幻聴と類縁関係にある「思考化声」という症状がある。これは自分の考えていることが声になって聞こえるというものだ。この症状は統合失調症の患者さんで能動と受動の区別があいまいになっていることをよく表している。つまり本当は能動的に自分が考えていることを、あたかも他人の考えが声として聞こえているかのように感じる。
幻聴も同じメカニズムで説明できる。声として聞こえてくる内容は、実はすべて自分が考えていることなのだ。実際に、幻聴で聞こえてくる内容は、患者さんが知っている範囲のことだ。その人がまったく知らない分野のことや、聞いたこともない外国語で話しかけてくることはない。「そんなことを言われたら嫌だな」と危惧していることが人の声として聴こえてくるのだ。都合の悪い考えは自分が考えたと認めたくないという否認の機制も関与しているのだろう。
「考え」とは「内言語」であって、「しゃべる」ことと同義である。つまり幻聴は実は内言語の体験の障害と言える。言語は舌という単純な器官で能動化される。そこで能動的な自分の考えを他者からの言葉と取り違えやすいのではないかと考える。
一方、同じ病態にあっても、視覚の刺激となる行動は一つの舌という器官だけで行われるものではない。頭の中に生じた行動を表現するには実に多くのシステムが関与する複雑な現象である。だから、自分の行動を他人の行動として取り違えることが難しいのではないだろうかと考える。