投稿日:2013年2月4日|カテゴリ:コラム

母校慈恵医大のアメリカンフットボール部、慈恵クリケッツ(JIKEI Crickets)は、昨年こそ4位に終わったが、2007,2008,2009年と関東医歯薬リーグで3連覇を果たし、2010年は準優勝であったが、2011年には再び優勝という輝かしい成績を残している。
クリケッツは今を去ること43年前に、私とA君、T君の三人が中心になってアメリカンフットボール同好会として創設した。アメリカンフットボールは最低でも11人揃わないとゲームができない。私たち3人の考えに賛同して参加してくれたN君、S君、K君、M君らの協力があったが、それでも設立後2年間は練習試合すらできずにひたすら基礎練習だけの日々が続いた。
また、アメリカンフットボールは競泳のようにパンツ一つあればできるスポーツではない。ヘルメットの他にショルダー、ニーパッド、サイパッドなど各種の防護用品とそういった物を装着した上に着ることができる専用のユニフォームが必要。さらにはタックルの練習をするためのダミーも必須である。つまり、ちょっと始めるだけでも相当に金がかかるのだ。そこで、夏休みは道具購入資金を作るために各自がアルバイトをした。
こうしてアルバイトと練習だけの2年を耐えて、3年目にやっと11名の部員が揃い、練習試合をすることができた時の喜びは今でも忘れない。当時は医学部、歯学部、薬学部にアメリカンフットボール部のある大学は少なかったが、なんとかリーグを立ち上げて、そこで優勝もした。その後、優秀な後輩たちの頑張りによってクリケッツは立派なチームに育ってきた。医歯薬リーグも関東学生アメリカンフットボール連盟の公認リーグとして14校が参加している。たった6名でひたすらダミーにぶつかった初の夏合宿を想い出すと隔世の感がある。

大学入学時、私はサッカー部、A君とT君は陸上部に入部した。私はたいしたサッカー選手ではなかったが、A君は槍投げ、T君は短距離走の有望な新人だった。T君は高校で記録も持っているほどであった。
そんな3人がなぜそれぞれの部を辞めてアメリカンフットボールチームを作ったのか。それは既存のクラブに対する反抗だった。あらゆる場面で先輩の命令は絶対。OBと称する人間がやってきて精神訓話と理不尽な要求をする。暴力や体罰はなかったが、非合理的で封建的な体質にはついていけなかった。
私たち、特に私はアメリカンフットボールというスポーツをやりたいという思いより、自分たちの納得がいくクラブ活動をしたいという動機の方が強かったように思う。
当初は部として公認されず、同好会として発足した。私たちはこの「好きだから集る」、同好会という呼び名を気にいっていた。嫌なのに強制されて練習するのではない。好きで集まったからにはどんなハードな練習だってできるはずだ。そうして、主体的に練習するからこそ強いはずだという、私たちの考えにぴったりの名前だからだ。
初めに決めたルールは、次の3つであった。①フィールド内では先輩も後輩もなく、対等のチームメイトである、②たとえ人数が欠けることになり試合そのものができなくなったとしても、練習しない者は試合に出さない、➂たとえどんなに学年が上であっても、合宿中の飯は自分でよそう。
5年生の時に、リーグ創設のためと、学生会からの補助金をいただくために、部に変更したが、部となってからも気持ちは同好会のままであろうとと誓った。
卒業して、私たちが初めてのOBになった時に、もう一つ掟を作った。それは、「OBは金は出すが、口は出さない」だ。クラブの主役はその時その時の現役選手だ。クリケッツは私たちが自主的に考えてクラブを運営してきた。これからもずっと現役選手が自分たちで考えてクラブ運営をすることこそが創設の精神だと考えたからであり、資金援助は、後輩たちに私たちのような金の苦労をさせたくなかったからだ。

近頃、中学、高校の運動部、さらにはオリンピック選手においても体罰、暴力が問題となっている。たかだか医学部の運動部ごときは例にならない、と言われてしまうかもしれないが、私は強制による上達は真のスポーツマンを育てないと考える。ましてや暴力への恐怖から、いくら上手くなったとしても、それ以上に失うものの方が大きいのではないだろうか。好きだからこそ上手。これこそがスポーツ本来の姿だと思う。
「現役が自分で考え、OBは口を出さない」という創立の精神を脈々と受け継ついでいてくれている慈恵クリケッツの諸君は、私の人生を彩る数少ない誇りの一つだ。

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