野田新総理が民主党代表に選出直後の演説で「政権運営とは雪の坂道で雪だるまを皆で押し上げていくようなものだ」と述べた。全党員が恩讐を超え、はしゃぐことなく、受けを狙うことなく、一致団結して汗をかこうと訴えたのである。
これまでの民主党政権では議員たちが政権運営という本来の目的をそっちのけに個人的な受けを狙った発言をしてきた。そういう勝手な行為が国政の大きな障害となっていた。それに対する警鐘を放ったのだ。それにもかかわらず、首相就任演説もなされぬ前にまたもや勘違い女がフライングした。
小宮山厚労省が就任記者会見で述べた「煙草を700円ほどに値上げすべき」という発言。何よりもまず、各省庁が一丸となって震災の復旧、復興に取り組もうという矢先に、いかにも唐突な煙草増税発言であった。愛煙家の野田総理、藤村官房長官は寝耳に水であったらしくこれを聞いて唖然。安住財務相は、課税は自分が所管すると不快感を露わにした。発足冒頭から閣内の足並み不一致を露呈する結果となった。
思わぬ波紋を呼んで、さすがに慌てたのか「煙草の増税は税収増加が目的ではなく、国民の健康増進が目的である。であるから所管大臣の自分はあくまでも煙草税アップを訴え続けていく。」と己のプライドも気付付ずにうまく取り繕ったつもりだったようだ。しかし、そんなへ理屈では自分が多いなる勘違い女であることを取り繕えるものではない。
煙草の健康問題がこの状況下の就任演説で取り上げなければならない問題なのか。厚労省が何を差し置いても全力で取り組まなければならないのは、いっこうに改善の兆しが見えない雇用問題であり、福島原発事故に端を欲した放射線障害ではなかろうか。
そんなことさえ分からないほど馬鹿ではないだろうから、なにがなんでも煙草に言及したかった理由があるに違いない。そう。この方名うての嫌煙家なのだ。顔の人生で愛煙家の男によほどの恨みがあるのかもしれない。江戸の敵を長崎で。厚労省に就任した暁には必ず喫煙撲滅を果たそうと臥薪嘗胆、ずっと考えていたに違いない。そうでなければ、新内閣の結束に寄せていた国民の期待に冷や水を浴びせるような馬鹿な真似はしなかったはずだ。
私がなぜ小宮山女史の言葉にこれほど激昂しているのか。言うまでもなく、私が愛煙家だからである。ただ、私たちスモーカーはこのところ喫煙に対するバッシングには慣れっこになっているから、ちょっとやそっとではこれほど反応しない。はらわたが煮えくりかえる原因はこの女の物言いにある。
口からきつい言葉が飛び出しても眼差しに優しさがあるとそれは辛口のユーモアと取られて憎まれない。反対にどんな甘言も冷酷な目つきの下では耳に心地よさは残らない。「目は口ほどに物を言う」と言うが、まことにコミュニケーションの場において目から伝わる情報は極めて大きい。
眼は感覚器官であり情報を受け取るのが役目である。本来情報を発信する器官ではない。それにもかかわらず眼差しから相手の感情、意志、知性を汲み取れるのは不思議なことである。この理由の一つは、言葉は脳神経に支配されてはいるが所詮筋肉のなせる業であるのに対して目は脳の一部が直接露出していることが関係するのではなかろうか。
舌は脳の様々な部分から複雑な統御を受けて抑制されている。しかも舌は己のへらへら動く姿は口中に隠している。こう考えると舌は初めから嘘を吐くためにある装置と言える。
「酒入れば舌出ず」。酒の上の失言と言われるが実は酒によって抑制が解かれて初めて本音が吐露されるのである。一方、「目は心の鏡」と言われるように目は嘘を吐けない。相手を見ようとすると脳そのものである自分自身を晒さなければならないからだ。だから、コラム「正直村と嘘つき村」で書いたように、私は目が笑わず口元だけ笑っている人間をまったく信用しない。
小宮山女史はアナウンサー出身だけあっていつも笑顔が絶えない。垂れ目なこともあってとても柔和な雰囲気を醸し出している。しかしいくら垂れ目でもその目は笑っていない。冷やかに相手を軽蔑している眼差しである。
「私はNHKで論説委員をやってたのだから頭がよいのよ。」「お馬鹿さんな貴方たちによく教えてあげるから言うことお聴きなさい。」「煙草が吸いたければ700円出せばいいのよ。でも貴方の収入でそれだけの余裕あるかしら。」「でもお金がなくて幸せなのよ、その方が貴方のためなんだから」「貴方のためなのよ、お馬鹿さん。」上から目線極まりない。
小宮山に限らず、貴方のためだと言いながら人の嫌がることをやる奴がいる。この手の連中は最初から悪漢面して嫌がらせをやる奴よりもよほどたちが悪い。宗教原理主義者を見れば納得できるだろう。人を殴り殺しながら、「貴方のためだから」と言う。
小宮山女史の作り笑いを見ているうちに、昔観た、大竹しのぶ主演のドラマを思い出した。確か「ボランティア」と言うタイトルだったように思う。ある日無料で押しかけてきた家政婦が、幸せな家族の中にどんどん入り込んで、とうとうその一家を破滅させてしまうという話である。その中で大竹しのぶが途方に暮れる家族たちに要所要所で語りかける台詞が「ボランティアですから」だ。垂れ目の大竹が笑顔で言うだけに背筋がぞっとするほどシュールで怖かった。
さて野田総理。就任早々、放射能除去に加えて跳ね上がり除去にまで腐心しなければならないとはお気の毒と言うほかない。