投稿日:2011年6月6日|カテゴリ:コラム

法律や約款を見ただけで目をそらしてしまうのは私だけでしょうか。仔細漏らさず正確に記そうとしたためなのか、人をたぶらかそうとした結果なのか、とても分かりづらい文章です。
私はつい最近まで契約書や約款をきちんと読み通したことがありませんでした。しかしこのために、少なからず不利益を被った苦い経験から、最近はこういったややこしい文章も自分とかかわりのある部分だけは読むことにしています。
この作業で私が原則としているのが反対解釈です。条文の真意は書いてある文言の反対のことであると解釈するのです。こうした方が分かりやすくて騙されません。たとえば「明らかな故意に基づく損傷の場合には保証を免ずる」とあれば、「明らかな故意に基づく損傷と証明されない限り保証義務が有効である」ということです。「排除手続きを妨げない」とあれば「排除する」ということです。
うがった見方かもしれませんが、重要で争いになりかねない個所ほど回りくどい言い方をしているように思えます。「○○しないことを妨げない」などという二重否定文もしばしば使われます。相手を煙に巻いてトラブルが発生した時に自分に有利になるように仕掛けられているのだと思います。
言葉を小賢しく弄することが上手な者と言えば官僚の右に出るものはないでしょう。重要法案が、官僚が書き加えた一行によって骨抜きになることは日常茶飯事です。
最近の政治家も人間力や歴史観を磨くことはせずに、もっぱら官僚言語の習得に努めているように見受けます。我が国の将来のビジョンを語ることはできないのに、その場を凌ぐ能力だけはかなりなものです。

管総理の不信任案騒動。またもや言った言わないのガキの喧嘩が繰り広げられています。「震災対応に一定の目途がついた段階で若い世代に責任を引き継ぎたい」という発言を与野党政治家は言うに及ばず大半の国民が「近々辞める」と解釈しました。しかし、当の御本人とその取り巻きは「辞めるという言葉は言っていない」と居座りを決め込んでいます。これには厚顔無恥には慣れっこの永田町の連中も大変な剣幕です。仲を取り持ったつもりの鳩山さんなどは「ペテン師」とまで発言。怒り心頭に発しているようです。
でも先ほど述べたとおり、政治家と官僚の言葉は反対解釈をしなければ真意がわかりません。そうすれば、管の真意が「復興の目途が立たない限り絶対に辞めない」であることは明白です。今更怒る方が間抜けというものです。今頃、管はしてやったりと、ほくそ笑んでいるでしょう。被災者はさておいて、これまでのようにぐずぐずと復興対策を遅らせれば遅らせるほど自分が延命できるのですからおかしな話です。

小学校の頃にもこういう奴はいました。「このおもちゃ君に貸してあげるよ」と言っておきながら、いつまでたっても貸してくれない。「貸してくれるって言っただろう」と問い詰めると、「いつ貸すとは言っていない。10万年後に貸してあげるよ」。
こういう奴はクラスの話し合いの会などで本領を発揮しました。言葉尻を捉えて相手を非難したら向かうところ敵なしです。しかし、昔のガキ大将を中心とした縦社会では、いくら弁が経ってもガキ大将に「うるさいへ理屈言うな」と一喝されて社会の健全性が保たれていました。
今日の、縦のつながりがなく、同い年の集団に大人(先生や親)が参加するだけの子供社会では、ガキ大将による健全な子供社会が成立しません。妙に物分かりの良すぎる大人の影響でこういう輩が幅を利かして大きくなってしまいます。
こういうガキ、そしてそのなれの果てである弁の立つ大人はぎゃあぎゃあ議論する能力には長けていても決定的な能力が欠落しています。それは、自分が嫌われ者であり、馬鹿にされているということを感知する能力です。
口から先に生まれたような、ませガキは大抵嫌われ者、いじめられっ子でした。政治家も、目先の政局に勝利すればするほど国民から尊敬されるどころか、軽蔑、嫌悪されることにどうして気付かないのでしょう。
菅直人だけではありません。普段は国会で居眠りの合間に野次を飛ばしているだけの連中が少なくありません。そういう奴にかぎってテレビカメラを向けられた途端にまじめ顔で、昨日の発言と180度違うことを臆面もなく口にします。そういう連中の戯言を聞いているうちに、彼らの顔が蛙に見えてきて、「蛙鳴蝉噪」という言葉を思い出しました。
「蛙鳴蝉噪」とは蛙や蝉のようにげろげろ、みーんみーん耳障りな鳴き声から、無駄な表現ばかりで内容が乏しい無用の議論や文章のことを言います。彼らがしたり顔で「粛々と」とか「国民本位で」とか言っても、何の感慨も持てません。真意の「権謀術数をつくして」、「自分の利益のために」が見え見えだからです。
口先蛙は何百人も要りません。うるさいだけでなく私利私欲の亡者ですからは百害あって一利なしです。速やかに議員定数を半分以下に削減しましょう。官僚の削減よりも急務だと思います。
しかし、欲張りな連中が自分の首を絞めるようなことをするはずがありません。私たち一般国民が声を大にして蛙を退治しなければなりません。また、その責任があるのです。
今回のドタバタ劇を見た被災地の町長が疲れ果てた顔で、「私たちが選んだ人たちですから・・・・・」と呟いていました。蛙は私たち国民の心を写す鏡なのかもしれません。私たち自身が猛省しなければなりません。

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