小学1年生の同級生にTちゃんという女の子がいました。色白のかわいい子でした。病弱でよく学校を欠席していました。また、歯茎から出血する姿も目にしていました。今から考えると出血傾向のある疾患を罹っていたのだと思います。
小さい頃から女好きであった私は自分が病弱であったことも加わって、ことさら彼女のことが気になっていました。家が近いこともあって何回かTちゃんの家まで御見舞いに行って遊びました。この時にとても不思議なできごとがありました。私が他の友達を御見舞いに行こうと誘っても、多くの友達が行こうとしなかったのです。
少し後に、クラスメートたちの会話を聞いていてこの謎が解けました。Tちゃんのお母さんは広島で被爆した方でした。つまりTちゃんは被爆者2世ということだったのです。Tちゃんの病気が何であったのか、またそれが本当に母親の被曝に関連したものだったのかは謎のままです。しかしはっきりしたことは、子供たちに「放射能の病気がうつるからTちゃんとは遊んではいけません」と言っていた親が少なくなかったということです。
Tちゃんは間もなく学校から姿を消しました。転校したということでしたが、真相は定かではありません。ただ単にお父さんの仕事の関係で引っ越したのかもしれませんが、学校でのつらい体験を避けるために転向したのかもしれません。最悪のシナリオとしては、病気が悪くなって帰らぬ人となった可能性もあります。
転向の理由がどうであれ、こういった周囲の言動によって、Tちゃんの心、そしてご家族の心が深く傷ついたことは間違いないでしょう。それを裏付けるのが、御見舞いに来た私への歓迎ぶりです。帰り際にTちゃんとお母さんが「また来てね」と手を振った、その笑顔が忘れられません。
原発事故にまつわる風評被害が数多く報道されています。福島県産、茨城県産のほうれん草、牛乳、魚などの食品は、基準値を超えたものは流通していないにもかかわらず、多くの消費者が見向きもしません。一生懸命生業に汗を流してきた農民や漁民の心中は察して余りあります。
食品に過敏になる気持ちは理解できないでもありません。自分や家族が直接口にするものですから、万が一の場合には重篤な内部被曝を受けるからです。また、「大丈夫」を連発する政府に対する根強い不信感があるからです。
しかし、水や食品以外に対する的外れの風評には心底憤りを感じます。原発周辺から一時避難した子供が避難先の小学校で先生から「福島から来たということは伏せておいた方がよい」とアドバイスされる。福島県からの避難児童だということが明らかになると実際に苛められる。福島県ナンバーのトラックでの搬送を断られる。高速道路のサービスエリアで福島県ナンバーの車の持ち主が罵声を浴びせられる。人間の醜さ、残酷さが具現化された情景です。
この原発事故避難者に対する一連の差別、迫害報道の中で我が耳を疑ったのは医療機関の受診拒否です。原子力発電所から30km以内に居住地があると言う理由から避難所生活している人が病気にかかって受診したところ、放射線量を確認するスクリーニング検査をして「異常なし」という証明書を提示しなければ診察しないと拒否する医療機関があると言うのです。
このとんでもない報道を聞いても最初は、「どの世界にも信じられない馬鹿ものはいるんだな」と思っただけでした。ところが最近の報道でそういった医療機関がたった一か所の特例でないことを知り、愕然としました。
医師国家試験とはどういった基準で行われているのでしょう。その後携わる診療科にかかわらず、医師として必要な一定の医学的な知識を有しているか否かを判定してきたのではないでしょうか。そうであれば、放射線障害を伝染病と混同するはずがありません。
一生に一度もお目にかかることがないような難病・奇病の診断基準を要求する一方で、素人でも知っておくべき医学的な基礎知識をおろそかにする医師国家試験のあり方を再考する必要があるのではないでしょうか。
閑話休題、放射線は細菌やウィルスとは根本的に異なります。感染しません。単なる化学物質として微粒子に付着して衣類や体表面に付着するか、呼吸の際に肺に取り込んだり、水や食べ物として消化器を通して体内に取り込むことによって被曝します。しかし、体内に取り込まれたとしても細菌やウィルスのように増殖するわけではなく、むしろ時間とともに減弱してしまいます。
水道水の放射線量が基準値を超えた時に、私に「水道水を使う時には煮沸すればいいですか?」と質問された患者さんがいました。全くの不正解です。生き物ではありませんから煮ても焼いても減りません。しかし、放っておけば時間とともに減少しますから、汲んでおいた水を数日後に使用すると言うのが正解です。
洋服や皮膚に付着した放射線物質は払い落して、入浴、洗濯すればそれまでです。ですから、原子炉建屋の中で水素爆発現場に立ち合わせた人でもない限り、身体の周りに放射性物質をくっつけているはずがないのです。一方、内部被曝はその人本人には重大な障害を与えますが、燃料棒の一部をかじって飲みでもしない限り、周囲の人に重大な放射線を浴びせるほどの放射線物質は取り込めません。しかも、それほどの放射線物質を内部に取り込んだ人は避難所に辿り着く前に死亡しているはずです。つまり、危険地域に住んでいたからという理由だけで避難している人たちが放射能の汚染源になるはずがないのです。
こういう理不尽な差別や迫害の根底には何があるのでしょう。一つは他人の痛みを感じとる共感性の欠如です。福島の原子力発電所で作られる電気は福島県民のためのものではありません。東京電力管内、つまり首都圏のエネルギーをまかなってきたのです。
大地震、津波そしてそれによって引き起こされた原子炉事故に見舞われた福島県民は無辜の被害者です。深く同情こそされてもなんら非難されるいわれはありません。そういう人々を迫害できるのは自分の身を相手に置き換えて心を感じ取る能力に欠けているからです。
次に挙げられるのは利己心です。他人はどうあっても自分さえよければよいという欲望が困っている人に手を差し伸べず、鞭打つ行為をなすのです。他人が野垂れ死のうがなんだろうが、自分だけが安全で長生きすればよいのです。
もう一つの要因は無知だと思います。これまで自分の生活と無縁と思っていた目に見えない放射能を全く理解していないために、過剰におびえているのです。この無知こそが今回の福島県民差別の最大要因ではないでしょうか。なぜならば、同じ被災者でも宮城県や岩手県民に対してはこういった迫害がないからです。
無知はこれまでにも数多くの人を殺し、傷つけてきました。中世の魔女狩りしかり、ハンセン氏病患者迫害しかりです。知らないものに対する恐怖からくる過剰防衛ほど残酷で罪深いものはありません。
知らないのだからしょうがない。ちゃんと分かるように教えてくれるべきだと言う方もいらっしゃるでしょう。それは甘えた発言です。現代の情報が溢れた時代、自ら得ようとして得られない知識はほとんどありません。知らなかったと言い訳する人は、実は知ろうとしない、知る努力をしないだけです。パチンコ必勝法を読み、FX取り引きで金儲けする知能と時間があったら、自分の生活の基盤を支えているエネルギーについて学ぶことはできるはずです。
Tちゃんは今頃どうしているでしょう。もし、今も元気で生きているとしたならば、今回の原発騒ぎに古傷をえぐられる思いなのではないでしょうか。無知こそ最大の罪です。