投稿日:2011年3月21日|カテゴリ:コラム

これからコラムにしようと思って書きかけていた草稿はすべてボツになりました。311で日本は大きく変わってしまったからです。前回のコラムで東日本大震災が未曾有の規模であると述べましたが、事態はさらに悪化の一途を辿っています。太平洋、東北地方沖の長さ500km、幅200kmにわたるプレートの破壊エネルギーとそれによって引き起こされた巨大津波が福島第一原子力発電所を破壊しました。
当初は6つある原子炉の一つだけの軽度の事故と思われていたのに、時間を追うごとにその被害は深刻度を増すだけでなく、数が増えていきました。その結果、3つの原子炉が機能不全に陥り、残る2つの原子炉の燃料棒も溶融の危険にさらされています。
東日本大震災は我が国に地震そのもの、津波、原子炉破壊という三つの重大な災害をもたらしました。三重の災害です。これまでは地震と津波による被害が注目されてきましたが、今、世界中の人の関心は福島の原子力発電所事故の成り行きに注がれています。
なぜならば今回の事故は国際原子力機関が定めた原発事故の国際評価尺度で6/7。チェルノブイリ事故の7に次ぐ2番目に相当する深刻な原子炉事故だからです。そして、私がこのコラムを書いている今も、東京電力及び関連会社の職員と警察官、消防官、自衛隊員が自らの命をかけて原子核燃料の暴走に対峙しています。
日本経済に対する打撃はこの震災そのものよりも、その結果、原子力を含む多くの発電所が破損したことの方が大きいかもしれません。また、残存の発電能力では東日本の電力需要を満たすことができません。そこで東京電力と東北電力は大規模停電が起こらないように、あらかじめ輪番制で地域ごとに計画停電を実施しています。これがさらに日本経済に追い打ちをかけています。
いくら計画的とは言っても一日のうち4,5時間電気が供給されないと仕事にならない企業が少なくありません。業務そのものは遂行可能でも社員の通勤が困難で人員の確保が難しい状況です。しかも、この電力不足は当分続くと予測されます。
なぜならば、福島の原子炉事故が大惨事に至らずに終息したとしても人々の原子力発電に対する安全神話が完全に崩壊してしまった現在、残りの原子炉の再開は不可能と思われます。原子力発電所周辺の住民が稼働再開を容認するはずがないからです。
生き残りの発電所のフル稼働と新たな火力発電所の増設しか手がありません。しかし、原発なしには首都圏の莫大な消費電力を賄うことは難しいでしょう。年々暑さを増す夏季の電力供給が破綻することは目に見えています。現在行われている計画停電が常態化することを想定しておいた方がよいでしょう。

私たち日本人、特に首都圏に住む私たちは無造作にエネルギーを消費することに慣れて、節約という感覚が麻痺していました。今回の震災は大変不幸なことですが私たちが忘れていた質素な生活を思い出させてくれる機会となりました。
石原都知事の「天罰」発言は言語道断です。首都圏の贅沢の犠牲になっていた東北、北関東の人たちが天罰を受ける言われはありません。しかし、彼が言わんとしていたところは分かるような気がします。文学者のくせに言葉の使い方を誤ったのです。本当はこう言いたかったのではないでしょうか。「これは自然からの警告だ」と。
すでに私たち日本人は、国民一人当たり700万円もの借金をしています。そこへ持ってきてこの大災害です。復興にかかる費用をどう捻出すればよいのでしょう。我が国の財政はよほどの妙手を打たない限りデフォールトします。
GDP中国と争っている場合ではありません。さらに、外交は軍事力と経済力に裏打ちされた活動です。これまで頼みの綱であった経済が破たんし、震災後の復興で他国から多大な借りを作った日本外交が今後ますます困難な状況になるのは目に見えています。
私たちは自ら、最悪の場合30、40年前の生活に戻らなければならないかもしれません。そうでなかったとしてもそれだけの決意を持たなければ、この国を再建することができないのではないでしょうか。私たちこの島国に生まれた日本人に逃げ場はないのです。今こそ国民力が試される時です。
特に、高度成長経済の恩恵を十分に受けてきた私たち団塊の世代は、特に頑張らなければならないと思っています。若い頃理想に燃えた私たちが、これからの日本を担う世代に具体的に何を残すことができるのか。ここが踏ん張りどころです。

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