投稿日:2011年1月9日|カテゴリ:コラム

その家はどう見てもゴルフのスタート小屋とはほど遠い造りです。4畳半ほどの和室。衾を取り払って一続きになっている隣りの部屋の床は板張りで、正面にある窓が全開になっています。全開とは言っても腰高の開き窓ですから開口部はせいぜい幅3メートル、高さが1.5メートルといったところでしょうか。その窓越しには鬱蒼とした木々が見えます。
和室には箪笥や卓袱台(ちゃぶだい)が置かれていて、普段誰かが生活していると思われます。なんとその部屋から正面にある、先ほどの窓に向かってティーショットを打たなければならないようなのです。
そんな小さな的に向かって、一体どうやって打つんだろうと思案しているうちに、家内が二枚の畳の間にティーを差し込み、球を載せるやいなや、スパーンと打ちました。球は見事に小さな窓枠を抜けて外へ飛んで行きました。
そうなると四の五の言っていないで私も打たなければなりません。同じように畳の間にティーアップして前方を見ると目標の窓は一層小さく見えて、とても私の技量でその間を打ち抜くことなど不可能そうです。しかし、打ち終わった家内の姿はもうその小屋には見えません。一刻も早く窓の外へ球を打ち出さないと置いていかれてしまいます。
飛距離なんか二の次にして、とにかく窓に向けて打とうと決意して、クラブを振り上げました。とすると、クラブが右奥にある箪笥に当たってしまいます。そのままではどんなにクラブを短く持ってもスイングすることができないのです。さらに、ティーの前方においてある卓袱台も意外と目障りです。
急がば回れ。少し時間はかかってもちゃんとスイングができる状況にしようと、卓袱台と箪笥を動かします。卓袱台は上に載っていた食べかけの食器を片づけるのに少々手間取りましたが、卓袱台その物は軽いので簡単にどかすことができました。問題は箪笥です。これには相当てこずりました。大幅な時間のロスです。
家具の移動でかなり疲れたのですが、なんとか息を整え、狙いをすましてドライバーを一振り。すると、予想通り、壁にぶち当たる大音響とともにゴルフボールがまるでピンボールゲームのように部屋の中を縦横に飛び交いました。怪我しないように頭を手で覆ってボールが鎮まるのを待つこと数秒。そっと目を開けるとボールは隣の部屋に片付けた卓袱台の下に転がっています。
卓袱台は人工物として取り除いたとしても、ティーアップしてもうまく打てなかったのに、窓に一層近くなって、しかも板張りの床からボールを外に打ち出すことなど絶対に不可能です。絶体絶命の状況に頭を抱えてしまいましたが、ふと横に目をやると板張りの部屋の右手には引き戸があります。その戸をあけると廊下につながっています。その廊下を左手に5メートルほど進むと期待通りに、右側に玄関がありました。「そうだ、以前もこの玄関から外に出たんだ。」

そうなのです。このコースは初めて来たわけではありません。少なくとも10回以上は訪れていて、寸分たがわぬ状況を同じ回数だけ経験しているのです。それなのに、いつも家具を片づけてミスショットをし、そこで改めて玄関の存在に気付くのです。
ティーアップした和室の襖を開ければ廊下を隔てて真正面に玄関があるのですから、学習効果があるのならば、最初から襖と玄関の扉を開け放って、玄関の方へ打てば一回で小屋から脱出できたはずです。それなのに、毎回同じ過ちを繰り返してしまう私なのです。
パターを使って廊下にボールを掃き出し、廊下を転がして玄関の外に打ち出すまでになんと5打かかってしまいました。
さてなんとか小屋の外に出ることはできましたが、周囲は林ばかりで目標であるグリーンはおろかフェアウェイさえ見ることができません。ただ、本能なのか、おぼろげな過去の記憶なのか分かりませんが、このホールが打ち上げであることだけは分かっています。だから、なるべく茂みの少ない林間を選んで高い方へ向って打っていけばよいのです。ゲートボールのように進むこと数10分。もう何打打ったか数えることは不可能ですが、少なくとも30打は打っているはずです。
やがて、木漏れ日の明るさが増し、鳥のさえずりが聞こえてきました。そして左手から鳥のさえずりに交じって人々の談笑する声も聞こえてきます。そちらの方に目をやると、樹間を通して左下の方には緑鮮やかな広いフェアウェイが並走しているではないですか。そのフェアウェイ上を家内とその仲間の、3人の同伴者が楽しそうに話をしながら歩いています。
私が林の中で悪戦苦闘していた数十分もの間、彼らがどうやって時間を潰していたのかは分かりませんが、同じホールなのに私は小屋から林の中を、一方彼らは綺麗なフェアウェイを使って同じグリーンを目指していたのです。
3人がきれいなスイングでアイアンを打ちました。3人とも見事にグリーンにオン。なんと目指していたグリーンはすぐそばにありました。私の位置からも数本の木を通して目と鼻の先にピンフラッグがあるではないですか。しかし、私のボールは赤茶けた地面の上にあるために、うまく打つことは困難です。いったん左のフェアウェイに出してからグリーンを狙うのが正しい選択です。ところが、私はいつもの通り、最短距離である木の間を狙って打つのです。結果は予想通り、ボールはトップしてグリーンをオーヴァーしてしまいました。
体中に葉っぱや木の枝や鳥の糞やらを纏わりつけてグリーンの奥に到着するとそこはドロドロのぬかるみです。その固めの沼のような泥の真ん中に私のボールがあるではないですか。
普通ならばカジュアルウォーター*1としてぬかるみの外にドロップという救済を得られるはずなのですが、このコースではどうやら、この救済措置が適用されないらしいのです。私は忍び足でボールに近づきますが、半分ほど近寄ったところで靴が泥の中に沈み、靴下も泥だらけになってぬるぬるです。でもボールが徐々に泥の中に沈んでいくので、気持ち悪いなんて言っていられません。
渾身の力で泥に向かってクラブを打ちこみますが、ボールはさらに泥の中に沈んでしまいます。「エイ!」「ヤー!」「ター!」めったやたらにクラブを振り回すうちにボールは影も形も見えなくなり、私も膝の辺りまで沈んで全身泥だらけ。
半狂乱の私に頭上から家内とその仲間たちが悪魔のような笑いを浮かべながら、口々にこう言います「みんな待っているんだから早くしてよ」、「スロープレイはだめだぞ」、「空振りもちゃんと数えているかい」、「そんな泥だらけだとクラブハウスに入れてもらえないわよ」・・・・・・・。
私は泣きながら大声で叫びます。「だからこのコースには来たくないって言っただろう!!!」
ここで目が覚めるのです。

3年ほどの中断の後、一昨年の夏からゴルフを再び始めたことは以前のコラムでお話ししました。ゴルフの再開と同時にもう一つ再開した経験がいま書いたゴルフの悪夢です。何年間も、いつも同じホールで苦しむのです。ホールの作りもほとんど変わりがありませんが、4年前にはグリーン奥の泥沼はなかったと思いますので、私を苦しめるトラップがさらに増えたようです。
私は精神分析家ではありませんが、この夢を見ると、フロイトはやはり偉大なのだろうと見直します。「その夢は意識下におけるあなたのゴルフの象徴です」と言われたならば何度も大きく頷いてしまうからです。
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*1カジュアルウォーター:大雨や雪などの結果、ゴルフコースの中の指定区域外に予想外にできた水たまりなど。あらかじめ設計されている池や川などのウォーターハザードと異なり、無打罰で外に出して打つことができる。

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