先日、友人たちとの会食の2次会でいったパブは、電子ピアノが置いてあり、ピアニストである初老のマスターの生伴奏で歌うことができる、今時珍しい昔ながらのスタイルの店でした。
ちょうど、その日はマスターの友人と思わしきギタリストのお客が来ていて、二人で何でも伴奏をしてくれました。私たちの一群も私を除けば30代がほとんどだったのですが、店の昭和の雰囲気に酔わされて、いきおいマスターやギターのおじさんのレパートリーに合わせて懐かしい曲を歌うことになりました。 そしてフォークギターのストローク奏法を耳にするうちに、私が急に歌いたくなったのが「戦争を知らない子供たち」でした。
この歌は、フォーククルセダーズの北山修が作詞、杉田次郎作曲の1970~1971年のヒット曲です。杉田はこの歌で第13回日本レコード大賞新人賞を、北山は作詞賞を受賞しました。
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
若すぎるからと 許されないなら
髪の毛が長いと 許されないなら
今の私に 残っているのは
涙をこらえて 歌うことだけさ
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら
誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
きれいな夕日が 輝く小道を
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ
戦争を知らない 子供たちさ
戦後からの復興の兆しが見え始めた昭和25年に生まれた私は、まさに「戦争を知らない子」です。物心ついて以来、日本経済は右肩上がりの発展を遂げて、我が家の生活も日を追うごとに豊かになっていきました。
1964年には東京オリンピックが開催され、この歌が発表された1970年には大阪で日本万国博覧会(大阪万博)が大盛況を博し、誰もが平和と繁栄を享受し、明るい未来を信じていた時でした。当時20歳であった私も、この歌詞の通り、髪を長くして(僧侶と間違われる今の私のヘアスタイルからは想像できないでしょうが)ベルボトムのカラージーンズを穿いて能天気に町をふらついていたものです。
ところが、海外に目を移せばベトナムではアメリカとベトナム軍との戦いが泥沼化して、南ベトナム、アメリカ連合軍が隣国カンボジアにまで侵攻するに至っていました。そもそも、我が国の戦後復興の最大のきっかけは朝鮮戦争によって起きた軍需景気でした。南、北朝鮮の血みどろの戦いを対岸の火事として得た漁夫の利です。ベトナム戦争においても、極東米軍の増強によって我が国経済は大いに潤っていました。皮肉なことに、いつの時代でも戦争は周辺の経済を発展させるのです。
「戦争を知らない子供たち」の歌詞のもつメッセージについては意見が分かれるところです。反戦歌という意見もあれば、戦争を経験した世代に対する若者の反抗の歌だという者もいます。しかし、作詞者の北山が所属したフォーククルセダーズが2年前に日本語訳詞の反戦歌「イムジン河」*を歌っていたことを考えると、「戦争を知らない子供たち」も反戦歌であったと考えるべきでしょう。
しかし、私を含めてこの歌を口ずさんだ多くの若者にとっての反戦は、絶対に落ちることのない高みから叫んでいた反戦であったように思います。やはり、戦争を知らない子だったのです。
あれから40年、世界各地では戦乱が絶えなかったものの、我が国はバブルだ、バブル崩壊だと、経済面では紆余曲折があったものの、戦争とは無縁の平和な日々を享受してきました。
私も、戦争を知らないおじさんを経て、いつの間にか戦争を知らない爺さんです。どうやらこのまま、戦争を知らない世代として一生を終えるのかと思っていた矢先、何やら急に我が国の周辺がきな臭くなってきました。
北朝鮮軍が韓国ヨンピョン島へ砲撃を加えて民間人を含む4名の死者を出しました。南北朝鮮の関係は金大中元大統領の太陽政策でいったんは急接近したものの、その後は核開発など、度重なる乱暴で敵対的な行動によって再び冷えこんでいましたが、今回の事件で休戦以来最悪の緊張状態となってしまいました。
日本人は「口では大変なことになった」と言いながらも、北朝鮮のいつもの瀬戸際外交の一環に過ぎないし、万が一休戦状態が破られたとしても、我が国には直接的な被害はないと高をくくっているようです。当初ワイドショーではヨンピョン島関連の報道をしていましたが、数日後には市川海老蔵傷害事件にとって代わられました。しかし、海老蔵の曲がった鼻が治るかどうかなどという瑣末な問題と同等に扱っていてよい程度の危機ではないのです。
確かにヨンピョン島砲撃がそのままエスカレートして全面戦争再開につながることはないでしょう。しかし、この事件で韓国は対北政策の方向を大転換しました。一方、北朝鮮も、国内外で批判にさらされている3代目の世襲を成し遂げるためには、決して弱腰な態度を見せることができません。
お互いが抜き差しならないチキンレースのスタートを切ってしまったのです。その先にあるゴールが全面戦争であることは言うまでもありません。再戦の危険性は臨界点に近づいたと言えます。
そしてもし朝鮮戦争再開となった場合、今回は先の休戦前とは違って、我が国が対岸の火事見物とはいかないのです。なぜならば、1950年代と違って、今の北朝鮮はミサイルと核弾頭を保有しています。そして、その照準は多くの米軍基地を抱える我が国にも照準が合わされているからです。
さらに、北朝鮮の覚悟次第では、我が国に潜入している工作員による一斉蜂起が考えられます。その際には原子力発電所の破壊・暴走および化学兵器、細菌兵器による都市部での無差別テロなどがもっとも懸念されるところです。
ビデオ一編の放映ですら決めかねるような今の無能な政府が今の危機状況を乗り切るだけの対応策をとっているとは思えません。甚だ心配なところです。菅さん、仙石さん、そして高額な生涯収入を得る官僚の皆さん、私たちの世代だけでなく、子供、孫の世代も戦争を知らない世代であり続けるために、幼稚な政治ごっこから卒業して、どうぞ真剣に防衛、外交に当たってください。
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*「イムジン河」:イムジン河(いむじんがわ、原題:臨津江〈朝: 림진강、あるいは 임진강〉)は、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)の楽曲。作曲は高宗漢
(고종한)、作詞は朴世永 (박세영)。1957年7月発表。日本ではフォーククルセダーズが日本語訳詞で歌い、大ヒット曲となる。