「夏の夜の夢」はシェイクスピアの有名な戯曲です。親から許されない恋人同士、またそこに横恋慕する若者たちの錯綜する人間関係が森の妖精たちのいたずらをきっかけに円満解決するという喜劇です。
なぜ夏の夜なのかと言うと、一年の中で昼が一番長い夏至は太古の時代から農耕を営む人類にとって特別な日でした。そこから、夏至の日には森の妖精たちが集会をするという神話が生まれました。シェイクスピアがこれを基に戯曲を作ったのです。
ところで確かに、夏の夜の睡眠は夢が多いようです。その原因に妖精の魔法が関係するかどうかは分かりませんが、我が国においてはなんと言っても高温多湿な夏の気候が主因であることに間違いはありません。
睡眠については過去何度も書いてまいりましたが、睡眠時脳波などを指標として考えると、たいていの人が一晩に4~5回は夢を見ていると考えられます。これは夏も冬もそう変わりはありません。
それなのに多くの人が夢を見たという実感が持てないのは、夢を見た後に深い睡眠を経過するために、目覚めるまでに忘れてしまうからなのです。明け方の夢のすぐ直後に目覚めた場合にだけ、その夢を覚えています。そしてこう言います。「今日は夢を見たよ」と。でも正確に言うと「今日は夢を覚えているよ」なのです。
ここ十年ほどの我が国の夏の暑さは激しさを増しています。特にコンクリートとアスファルトで塗り固められた都会の暑さは狂気の沙汰です。この都会の暑さは昼間だけではありません。夜になっても気温が下がりません。熱帯夜です。
私が子供の頃には高層ビルはなく幹線道路以外は土の道でした。ですから、午後2時、3時は相当な暑さであっても、陽が傾くとともに暑さは和らぎ、夕立に恵まれたならばいっきに涼風を得られました。
ところが近年はコンクリート化によって町全体が冷却されません。いつまでたっても昼に蓄えた熱を保持し続けます。熱帯夜です。
以前のコラムで睡眠の重要なメカニズムとして深部体温の変化について説明しました。自然の中ならば夜は大気が冷却されるので深部体温も下がりやすく深夜は深い眠りに就きやすいのです。ところが昼間とのけじめがつかない都会の熱帯夜においては深部体温も下がりにくくて、睡眠が深くなってくれないのです。
気温だけでなく湿度の高さも睡眠には不利な条件です。人間は寝ている間にコップ1杯の汗をかくと言われています。この汗が蒸発する際に奪われる気化熱によって身体を冷やしているのです。それなのに室内が高湿度ですと、せっかくかいた汗がなかなか気化しません。ですから、汗をかくわりに体温が下がらず、深部体温が高いレベルに維持されて、深い睡眠に入れません。
以上の理由から熱帯夜における睡眠は浅くならざるを得ないのです。夢をみる睡眠の後に浅い睡眠しかとれないとそれぞれの夢を記憶してしまう可能性が高くなります。浅眠多夢という睡眠障害になります。自覚的には「夢ばかり見てぐっすりと眠れなかった」と感じます。
こういう睡眠が何晩も続くと、やはり昼間のパフォーマンスが低下します。必要とされる睡眠が夜の間にとれていないので、身体が昼間に眠ることを要求します。そうでなくてもだるいのに、こうなるとうとうと船を漕いで上司から叱られることになります。
夏の寝苦しさ対策として様々な対策法が提唱されていますが、電気料金が払える方はエアコンの使用に勝るものはありません。
ところが、未だに「エアコンは身体によくない」という迷信が根強く残っています。この誤った説を信じている人を説得するのは並大抵なことではありません。「重病人が入院している病院でも、超高級ホテルでもちゃんと適切な温度と湿度にエアコンディションしているでしょう」と説いても半信半疑の顔をしています。
先ほど述べたように、昔の日本であったら、網戸にでもしておけば夜が更けるとともに気温が下がってきましたが、現在の都会は状況が違いますので、そういう方の中には扇風機をかけて寝る方がいます。しかし、この扇風機の方がよっぽど危険なのです。
扇風機の風を直接身体に浴び続けていますと、際限なく気化熱を奪われます。
度過ぎた低体温になってしまいます。幼児の場合には死に至ることもあります。身体に直接風を当てるのではなく、部屋全体の気温と湿度を適正に調節すればこのような危険性はありません。むろん、設定温度を下げ過ぎたり、吹き出し口を直接身体に向けてはいけません。
エアコン使用に際しては、タイマーを使って寝付いたらエアコンを切るなどという姑息な方法はとらずに、朝まで適正な室内環境を保つ必要があります。最近は明け方になっても外気温が下がりませんから、エアコンが切れるや否や室内が高温多湿になってしまいます。そうなると、せっかく下がった深部体温が再び上昇してしまいます。結局、浅眠多夢となってしまいます。
しかも、こういった悪条件下で見る「夏の夜の夢」は戯曲のようにハッピーエンドで終わる喜劇ではなく、不愉快な悪夢を見る悲劇ですからご用心。
投稿日:2010年7月12日|カテゴリ:コラム
【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】