韓国の哨戒艦沈没事件は事故調査委員会の正式報告で、北朝鮮の潜水艦からの魚雷攻撃によるということが明らかになりました。46名もの若い兵士の犠牲者を出した韓国政府としては断固たる制裁措置をとらざるを得ません。
これに対して北朝鮮はこれまでと同様に、瀬戸際強硬路線をとっています。すなわち、調査委員会の報告は捏造で、事件自体が北朝鮮を悪者に仕立てるための陰謀であるとの主張です。いかなる制裁措置も北朝鮮に対する戦闘行為とみなし、全面的な対抗措置をとるとしています。いまや朝鮮半島は一触即発の状況となりました。
一触即発と言われても、お互いに強がって見せても、結局はそれほど大事にはならないのではないかと高を括っている日本人が多いと思います。iPadを購入するために2日前から行列するような平和な国に住んでいると、ついつい忘れがちになりますが、韓国、米国と北朝鮮、中国とは実は今でも戦争真っただ中なのです。
1950年に勃発した朝鮮戦争は1953年に終了したのではなく、一時休戦状態に入っただけなのです。たまたまいろいろな好条件が続いて、その休戦が続いているだけなので、一発の弾丸だけでも戦闘状態再開はありうるのです。そこへもってきて、今回は大型哨戒艦の撃沈。本当に戦闘再開の危機状態なのです。
それにしても、言語も文化も同一の正真正銘の同一民族がなぜこれほど敵対し、殺しあわなければならないのでしょうか。そのことを考えると、最終的には第一次大戦以前からの先進国による植民地主義の暴虐に行き着きます。
このように骨肉相食む間柄にさせられてしまった韓国と北朝鮮ですが、ある1点では今でもしっかりとタッグを組みます。それは反日です。対日本となると朝鮮民族は手を取り合うのです。両国民に未だに横たわるこの反日感情の発生原因も、元をただせば植民地主義に行き着きます。
戦後、65年を経て日本と韓国は民主主義、資本主義という共通の社会制度で、民間交流も盛んになっていますが、両国民の間に今でも感情的なわだかまりがあることは否めません。それはサッカー、アイススケートをはじめとするスポーツにおいて明らかになります。日本は韓国にだけは、韓国は日本にだけは負けたくないと異常な盛り上がりを示します。民族間の感情的な溝の深さを痛感せざるを得ません。
しかし、日本民族と朝鮮民族はこれほど張り合う必要があるのでしょうか。
私の曾祖父に当たる西川忠亮は築地で西川求林堂という会社を興し、印刷インキの国産化を果たした人物であると聞いています。祖父は忠亮の三男として築地に生まれました。3代続けて東京生まれであれば江戸っ子と言えるとされていますから、私は立派な江戸っ子と言えるでしょう。では、西川家が代々江戸に土着していたのかというとそうではありません。曾祖父の忠亮は維新後に長崎から上京したのです。
家系図を見ますと、高祖とされる西川忠右衛門正幸は肥後の国(現在の熊本県)加藤家の家臣であったそうです。その後、貿易業に転じて朝鮮との間を往来し、やがて対馬に移り住みます。ところが豊臣秀吉の朝鮮征伐の煽りをくらって、朝鮮との貿易ができなくなったために長崎に移住したのです。
家系図で追えるのはここまでです。しかしながら、想像するに、それ以前は九州に土着していた一族であったと思われます。
先日ある方と出身地について話をしていたところ、「腕を見せてください」と言われました。そして私の腕を見るなり、「あなたの先祖は九州地方に住んでいましたね」と言うのです。「なぜそんなこと分かるのですか」と聞くと、私の腕の肘関節から5cmほど前を横断する線を指さして「熊襲の遺伝子を受け継ぐ者はここに線が出ます」、「優性遺伝です」と言うのです。家に帰ってから息子や娘の腕を見ると、確かに私と同じ熊襲線が入っています。一方、家内の腕にはこの線は見受けられません。
熊襲とは日本古代において現在の鹿児島県付近に居住したとされる人々で、隼人とも呼ばれます。大和政権が誕生してからもしばしば反抗をしていましたが、やがて大和に組み入れられたとされています。
熊襲・隼人の身体的な特徴は今でも九州南部や奄美、沖縄、八重山諸島にすむ人たちに色濃く残っています。眉毛が濃くて目が大きく、いわゆる「濃い」顔です。
私も眉毛が濃くて、理容店で剃ってもらわないと、両眉毛がつながってしまいます。睫毛も長くて、幼少の頃はマッチ棒を6本ほど載せることができました。腕の線のほかにもこうした特徴を持っているので、「熊襲の血を引いている」と言われても素直に納得できます。
一方、私は体毛がすごく薄く、この点では熊襲とは異なっています。むしろ朝鮮族に近いのではないかと思います。でも、先祖がしばらく対馬に住んでいたことを考えると、朝鮮民族の血を引いていても不思議ではありません。つまり、熊襲+朝鮮であろうと考えられます。
自分のルーツをこのように想像していたのですが、もう少し調べてみいるとそれほど単純ではなさそうです。ミトコンドリアDNAを用いた研究によると、現在日本人とされる人々は数万年前に遡ると、9名の母親に辿り着くのだそうです。言い換えると、数万年前にすでに9系統もの人種がこの日本列島に入り込んで、混じりあい始めたということになります。我々日本人は実はかなり複雑な遺伝子の組み合わせによって生まれたらしいのです。
実際、私の遺伝子型の根拠となる身体的特徴を羅列してみると次のようになります。血液型:A型、Rh+、瞼:二重、睫毛:長い、眉毛:濃い、体毛:薄い、腋臭:弱い、肌:乾燥、耳垢:かさかさ、巻き舌:できない、髪質:直毛、笑窪:あり、そばかす:なし、虹彩:黒褐色、禿:なし等々です。優性遺伝、劣性遺伝、取り混ぜた遺伝子系であります。
私に限らず、ほとんどの日本人が様々な系統の遺伝子を併せ持っているのだと思います。こうしてみると、日本人とは一体何なんだと考えてしまいます。日本民族対朝鮮民族という図式も意味のないものに思えます。なぜならば、9系統のうちのほとんどが中国、朝鮮半島経由で渡ってきたと考えられるからです。
本来、兄弟のような関係なのですから、日本人と朝鮮人が張り合い、いがみ合うことは、ルワンダにおけるツチ族とフツ族のいがみ合い*1とたいして変わりないのです。現在中国に住む多数の民族とも生物学的にそれほど大きな隔たりはありません。
南北朝鮮はもとより、東アジア各国はお互い東アジア人としての同胞意識を大切にして、仲良くやっていきたいものです。
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*1ルワンダ紛争:宗主国ベルギーの植民地政策によって、本来一つの民族であった人々が鼻の高さと幅によってツチ族とフツ族に無理やり分けられた。その結果、独立後両者間で血で血を洗う争いが行われて、100万人に近い人が虐殺された。アフリカの小国で起きた大惨事に世間は無関心であったが、2004年に制作された、映画「ホテル・ルワンダ」によって一躍多くの人の関心を集めた。紛争の終了後、ルワンダは驚異的な復興を遂げて、現在「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの繁栄を見せている。しかし、富めば富むほど貧富の差が大きくなり、政治的に作られたこの二つの部族の間には、再び緊張が高まっている。