投稿日:2010年3月1日|カテゴリ:コラム

ここ数年我が国では「脳」流行りです。任天堂DSの「脳トレーニング」ゲームの売れゆきは未だに好調。もじゃもじゃ頭の脳科学者がテレビや本で大人気です。彼のおかげでドパミンが聞きなれた言葉になり、一般の人が日常会話で使うようになりました。
先日会食した医師ではない友人が「何でもかんでもドパミン、ドパミンと耳にたこができてうっとおしい」と言っていました。それほど脳に関連した用語を耳にするようになりました。
脳科学の啓蒙は、これまで科学的に理解しようとせず、不思議なものとして封印されてきた「心」というものに光を当てたということに大いなる功績があります。これまでは一般の方の脳に対する理解が少なかったので、似非心理学的で怪しげな占いの付け入る隙を与えていましたが、そういった商売がやりにくくなってきたのではないでしょうか。
一方、脳というものに対する基礎的な知識のない方がドパミンだとか報酬系といった言葉だけを知ると、複雑精緻な脳というものを心臓などと同じ単純な装置と錯覚してしまう危険性があります。以前のコラムでもお話ししたように、脳の生理的なメカニズムはまだほとんど未解明です。脳を開発の遅れているアフリカ大陸に例えるならば、今はまだ周辺海岸のごく一部に町が建設された20世紀初頭の状態です。広大な内陸部はまだ人跡未踏のままなのです。
もじゃもじゃ男が喋っているのはこのごく僅か分かってきたことだけを材料にした話をしているのですが、あまりにも簡明に話をまとめてしまうので、脳の機能の大部分が解明されたかのような誤解を生む結果にもなります。私たちの行動が単にドパミン報酬系の活動だけで規定されているなどと努々思わないでください。
と言っても、神経薬理学を中心としたここ数十年の研究が脳の機能解明に輝かしい成果を生んできたことは間違いありません。新しく確立された分子生物学と協力して今のスピードで研究が進んで行けば、近い将来脳の機能の多くが解明され、さらには精神病の画期的な治療法が開発されるものと思います。

私が大学を卒業する頃は、まだ精神病が脳という臓器の障害に基づく疾患だという考え方で一致していませんでした。Schizophrenogenic  mother(分裂病を生み出す母親)という言葉が使われていたように、統合失調症は育て方が原因で起こる障害だという説がまかり通っていたほどでした。
私は精神病は実態のない「病んだ心」ではなく、脳の機能障害であるという信念を持っていました。ですから、脳科学的なアプローチで精神病を研究したいという志を持っていました。そこで中枢神経薬理をテーマにしておられた福原教授のもとで神経薬理を学ぶことにしました。そこで問題になったのが、卒業後精神医学と神経薬理学と、どちらを先に学ぶかということでした。
当時の精神科主任教授の新福教授に直接そのことを相談に行きました。新福教授の答えは「君が最終的に精神科の臨床をしたいのならば最初に精神科に来たまえ。薬理学者がゴールであるならば、まず薬理学を学びなさい。」「まっさらな時に得たことが体に染み込む。最初に精神科の臨床を体験しておけば途中何年基礎研究をしたとしても、また臨床現場に戻った時に必ずその時染みついた臨床医の勘が戻る。最初の数年を基礎研究に費やせば研究者としての勘が身に着く代わりにその後、いくら一生懸命精神科臨床を学んでも体で感じ取るものはなかなか身に着けられない。」
そして止めに言われたのが次の言葉です。「将来、薬理学をはじめ様々な脳科学が精神病を解明する日が来るかもしれない。だが、脳科学者たちによって精神病が解明されたとしても、彼らは精神病患者を治すことはできない。精神病患者を健康な生活に戻すことができるのは精神科医だけだ。」
精神科医療に携わって35年になろうとする今、あの時の新福教授の言葉の意味が実感として理解できるようになりました。
DSMのような操作的な診断が主流となり、ドパミンだアセチルコリンだと言って、簡明にいかにもそれらしく説明できるようになったために、精神医療がマクドナルド化してしまいました。一見すると精神科医療は進歩したかのように錯覚させられますが、本当にそうでしょうか。私は精神医療の質はかなり低下したのではないかと危惧しています。
患者さんの表情の変化、言葉の抑揚、息遣いにとても重要なサインが秘められています。それは精神科のいろはであったはずです。それにも関わらず、現在のメンタル医療ではそういったことに目もくれず、患者さんに紙っぺら一枚の質問票を記入させて、その得点結果から「ハイ、あなたは○○点だからうつです」、「じゃこの薬を処方しましょう」といった精神科医療がまかり通っています。こういったことが医療の質が低下したことを示す何よりの証拠です。
脳の生理機能が解明されつつあるからこそ、精神病患者さんは現在分かっている脳の科学的知見だけでは救えないことがより一層はっきりしてきました。私たちはそのことを真摯に受け止めて医療に当たらなければなりません。
新福教授の教えは、わが母校の学祖、高木謙寛の言葉「病気を診ずして病人を診よ」に通ずるものです。精神科医は精神病を診るのではなく、精神病患者と向き合い、全人格的に彼らを救うことが使命なのです。

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