投稿日:2008年12月8日|カテゴリ:コラム

伴食宰相であることが明白に実証されてしまった麻生さんですが、今流行りのお馬鹿キャラとしての人気は鰻登りです。
私は、「今日はどんなボケを演じてくれるのだろう」、「この次はどんな放言を吐くのだろう」とワクワク期待しながら、テレビニュースや新聞を見ます。実際に繰り返し放映される失言場面は下手なお笑い番組よりはずっと受けます。お馬鹿タレントとしては貴重な存在と言えます。
麻生さんの一連の失言はその原因から4つに分類されます。1.無教養のために漢字が読めない。2.不勉強なために現状や政策を理解していない。3.信念が欠落しているために朝令暮改となる。4.共感能力が欠落している上に粗野な振る舞いが格好良いと錯覚しているためにTPOをわきまえずに暴言を吐く。

第4の放言は読み違いでも言い間違いでもなく、彼の本音を正直に言っている、麻生さんなりの一家言です。個人の意見としては拝聴しなければなりません。しかし国を代表する総理大臣の意見となると黙って聞いているだけでは済まないこともあります。選挙を通して鉄槌を下すのを待っているわけにはいかず、直ちに撤回を求めなければならない事項もあります。
その最たるものが「俺はいっぱい払っている。何もしないで、たらたら飲んだり喰ったりしている奴の分(医療費)をなんで俺が払わなきゃいけないんだ。」という発言です。その後の記者会見でしどろもどろの言い訳をしていましたが、まったく筋の通った釈明にはなっていませんでした。やはり、「年寄りや貧乏人は早く死ね。」というのがこの人の本音なのだなという思いを強くしました。
この発言は憲法で規定されている社会保障制度というものを完全に否定しています。国家の国民に対する不可侵の契約である憲法を否定するのですから、ほろ酔いで身内に喋っているのならばともかく、公式の会議での発言ですから、即刻日本国総理大臣を辞するべきです。
麻生さんは大手企業グループ(戦前から悪評高い会社だが)の大株主で、自分でも高言している通りお金持なのですから、総理大臣を辞めても生活に困るわけではありません。総理大臣なんかにならなければ知能や人格上の欠点がこれほど明るみには出なかったので、単に金持ちのいい格好しいというだけでそれなりにファンも残ったでしょう。
母校の学習院の学生は彼の度重なる漢字の誤読に自分たちの学力を疑われると恥ずかしがっています。今回の「たらたら・・・」発言でも、その前振りで「同級会などに出席すると67,68の奴がみんなヨボヨボしている。」という行がありました。小学校途中から学習院をもちあがった麻生さんですから、この同級生というのはやはり学習院の方たちでしょう。「よぼよぼ」だとか、「たらたら」だとか言われて快いはずはありません。
身の程知らずに総理大臣を目指したがために、国民はおろか身近な人たちからも総すかんを食う羽目になったのではないでしょうか。

さてもうひとつ世間の話題になった放言に「医者は社会的にすごく非常識な人が多い。」というものがありました。マスコミは医療保障制度否定と同じレベルの失言として報道し、多くの医師も憤慨して日本医師会は公式に抗議しました。
しかし、私は「あんたにだけは言われたくない。」という思いはありますが、あの発言はそれなりに事実を言い当てており、侮辱されたという怒りの感情は湧いてきません。
医師は医学部という専門学校のような特殊な大学で6年間学び、同級生はすべて医業に携わる同業者。卒業して医師国家試験を合格すると直ちに「先生」と呼ばれ、人間関係においては数少ない上司を除いては頭を下げられるばかり。
「先生」と呼ばれるのは患者さんや他の医療スタッフからだけではありません。お互い同士も先生付で呼び合います。
酒場やゴルフ場ではしばしば、大声で「○○先生」、「××先生」と呼びあっている医者のグループに出くわします。実に異様な光景なのですが、医者自身は若い頃から先生と呼ばれることに慣れっこになっていますから、当たり前と思っているようです。
昔から「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃなし」と言われますが、先生という呼称は必ずしも敬意が込められているとは限らず、かえって馬鹿にした意味で使われることがあります。しかし諺で注意されているにもかかわらず、医者に限ったことではありませんが、先生、先生と呼ばれていると頭が反り繰り返ってくるようです。
また、ただ度重なる診療報酬減額によって急激に地盤沈下していますが、医者は生活レベルで世間一般の平均に比べて高収入のグループです。麻生さんには遠く及びませんが、いわゆるプチブルの集団を形成してきました。金銭感覚の点でも国民の平均的な感覚とは違っている人が少なくありません。
さらに、最近の政治家と同様に医者は2世、3世と世襲が多数を占める世界です。代々開業医の家に生まれ、育ち、医学部を出て医者になる。こうなれば極めて狭い物の見方しか育たないことは不思議ではありません。私はサラリーマンの息子ですが、大学の同級生の過半数は開業医の子弟でした。入学した直後、周囲が皆同じような価値観の持ち主で、話題にバラエティが乏しいことにがっかりしました。
こういう背景を持っていますから、医者は確かに社会的な一般常識から外れた人が多いと言われてもいたしかたないと思います。私の尊敬する元豊島区医師会長は、医師会の会議において「そんなことは非常識だ!」と声高に叫ぶ医者がいると、ニヤニヤ笑いながら私に小声で、「医者の常識、非常識」と囁いてきたものです。
「職業に対する差別的発言だ。」として抗議した日本医師会の行動が私にはピントはずれな行動であるように感じました。抗議すべきは、医者が常識的か非常識かなどという不毛な論点ではなく、医者が非常識であったとしても、そのことが現在の医師不足の原因ではないという点なのです。これまで国の行ってきた誤った政策に起因する現在の医療崩壊の原因を、医者が常識的かどうかなどという瑣末な問題にすり替えさせてはいけません。
もともと、現在の日本医師会はわが国の医療を先導していくという気概や自尊心が見受けられません。「寄らば大樹の陰」と政府、与党に擦り寄り、癒着しているようにさえ思えます。ですから、今回の抗議行動も単なるパフォーマンスであり、首相官邸で本当に柳眉を逆立てて抗議したかどうかは疑わしいものです。「麻生さん、まずいこと言ってくれたな。」、「これじゃなにがなんでも自民党支持を打ち出している日本医師会の面目がたたず、全国の会員の造反が起きてしまうよ。」という危惧から、形式的に抗議して、これに対して首相が陳謝したという演出をしただけではなかろうかと思っています。なにせ、官邸の密室の中で行われたやり取りなので真相は定かではありません。

さて、そもそも常識とは何なのでしょう。常識とは広辞苑によると「普通、一般人が持ち、また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力、判断力、思慮分別などを含む」となっています。
言うまでもなく、どういう知識までが常識として必須なのかという明確な基準はありませんし、時代とともに変わります。一般という定義自体が極めてあいまいな概念です。おそらく大多数の人たちが共有する知識と考えられますが、一つ一つの知識やふるまいを国民投票による多数決で決めているわけではありません。
このために地域や年代によって、自分たちが「一般的」だと考える知識や考え方が違ってきますし、教育程度や職業によっても異なってくるのは当然です。いくら専門的でない知識と定義しても、長く一定の地域に住み、教育を受け、一定の職業に就いていますと、自分たちが日常的に当たり前と思って使っている知識を常識と思うようになります。ですから、集団によって異なった常識が存在することになります。ここが「常識」の難しいところです。
ですから、生まれ育ち、現在所属する集団によって常識が違うということを各々が自覚して共生していくことが大切だと思います。そういうことを正しく理解し、分別できる真の常識人はあまり他人に対して自分の常識を押し付けません。ところが偏った常識を持っている人、つまり常識というものの不確かさを理解していない人に限って、自分の常識を他人に押し付けて非難しがちです。
「非常識」という言葉は自分と違う考えを持った人を集団で非合理的にバッシングする道具として重用されます。いわゆる村八分です。そこまでいかなくても、やたらに常識、非常識を持ち出す人は論理的思考力の劣る、あまり上等な人だとは思いません。

医師は先ほど述べたような背景をもって、特殊な業務を日常とする、しかも全国民の中では少数の集団です。理解力、判断力、思慮分別で大きく劣っているとは思いませんが、最大多数を代表する知識や意見の持ち主でないという意味では非常識であって当然と言えます。
なによりも、医師は一般の方がめったに体験することのない、人の「生」、「死」という出来事に日常的に直接関与しています。一般の方とは異なる価値観、人生観を持つ可能性が大です。しかし、そういった価値観に基づく常識的でない発言は社会にとって必要な場合があるのではないでしょうか。常日頃「生・老・病・死」という、目を背けたいけれど逃れられない生き物の宿命を肌で感じている者ででなければ言えないことがあるのではないかと考えます。
精神科医である私の場合には、劣悪さが増す雇用環境が主な要因になって、症状が悪化する患者さんが増えていることを実感します。また、往診をしている高齢者の患者さんの介護にあたっている方の中で、介護の負担から、ご自身の健康を損ねて、共倒れになる例が後を絶ちません。さらについ最近、私の地区で熱心で善良な活動を続けていた介護サービス業者が、介護報酬が少ないために経営を継続できず、ついに閉業しました。
こういう現実と身近に接していると、「経済効率が全てに優先する」という最近の「常識」から大きく外れた考えに行き着くのです。

麻生さんがおっしゃる通り、私は自分のことを常識人だとは思っておりません。しかし、それで良しと考えています。むしろ今後も、常識と思われて見過ごされていることに対して警鐘を鳴らせるような「非常識」でありたいと思っています。

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