マスメディアは医療の分野に関する報道において、ここ数十年来の論調をころりと変えました。すなわち、これまでは行政に同調して医療者に対する攻撃ばかりであったのに、最近は国策による医療体制の崩壊と、そしてこの医療崩壊による被害者が受療者のみならず医療者も含まれることも論及するようになりました。
さて、国の誤った医療政策を象徴する題材として産科救急患者の受け入れ拒否にともなう患者のタライ回しが取り上げられます。このテーマに関する報道や論評の中で「医師不足」「医師の過酷なる労働環境」についてやっと触れてくれるようになりました。しかし、タイトルはあくまでも「救急患者受け入れ拒否」、「患者のタライ回し」です。
「拒否」とは、要求・希望を承諾せずにはねつけることです。この言葉には「できるにもかかわらず断る」というニュアンスがありますから、医療の現状を正しい理解に導きません。本来は診療できるのに、面倒くさいから、あるいは疲れるからという理由で断ったかのように誤解されかねないからです。
確かに、かなり以前には一部の怠慢な医師によって、診療できるのに受け入れを拒否して、患者さんをタライ回しにした例もなかったわけではありません。そういう例についての批判が相次いで、何時の間にか患者さんの診療を断る理由をきちんと検証せずに、すべて医療者側の責任として報道してきたのです。
ところが現在病院が直面している状況はまったく違っています。診たくても、診ることが不能なのです。苦渋の「断念」をしているのです。
当直医は救急患者さんを待っていることだけが仕事ではありません。すでに入院している患者さん(入院を必要としているのですから軽症であるはずがありません)の夜間対応や病状急変時の対応がなによりも重大な職務です。その上で救急患者さんの診療にあたっているのです。
救急に限らず、患者さんにとっては自分が全てです。しかし、医師はその方だけを診るわけではないのです。すでにベッド上で苦しんでいる方、苦しみながら待合室で待機している方、そして病院を探している患者さん。すべての方に対応しなければならないのです。
もし目を離すことができないほど重症の患者さんの治療にあたっている時に、新たに重症の救急患者さんを受け入れることが責任ある医師の行為でしょうか。身体は一つしかないのですから、安易に受け入れた場合にはどちらかの患者さん、または両方への対応がおろそかになります。そうなれば不幸な結果を一つ、いやもしかすると二つも招くことになるかもしれないのです。
また、自分は救急患者さんを診ることができる状況にあったとしても、病状に対応できる設備(ベッド、医療機器等)が確保できなければ受け入れることはできません。人的資源と物理的資源の両方が満たされて初めて、患者さんが期待する高度な救急医療が可能なのです。
現在もっとも問題となっている周産期の救急医療の場合には特に、産科医の確保だけではなく、受け入れ設備の確保もネックになっています。つまり妊婦の治療設備だけではなく、出産する可能性のある胎児に対する治療設備も確保しなければならないからです。すなわち、新生児集中治療室(NICU)*1に空きベッドがないと受け入れるわけにはいきません。
11月2日の読売新聞に、同紙が全国75ヵ所の「総合周産期母子医療センター」に対して行った調査結果を載せていました。その結果によれば、「救急要請を断る場合がある」と回答した26ヶ所のセンターの断る理由で一番多かったのが「NICUが満床の場合」でした。
NICUの整備は1996年から始まり、現在全国で2,309床あります。しかし、不妊治療による多胎妊娠の増加や未受診妊婦の増加などによって、NICUを必要とする超低出生体重児*2が年々増加して整備を上回る勢いで需要が増加しています。超低出生体重児は1990年の2051件から2005年の3037件へと、この15年間で1.5倍になっています。これだけでもNICUは1000床ほど不足しています。
この不足の理由の一つは、国がNICUに正当な診療対価を支払わないことがあります。現在の診療報酬体系では、厳しい設置基準*3を満たすNICUを増やせば増やすほど病院は赤字になって病院経営が成り立たなくなります。国はNICU増設の掛け声ばかりで、それに対する保証をしていないのです。医療者の自己犠牲の上に胡坐をかいている医療行政の典型例です。
さらに、ベッドを増設しても、そこに長期間入院し続けている赤ちゃんが多数いるために、新たに受け入れをできる有効なNICU数はもっと少なくなってしまっているのです。本来、超低出生体重児はNICUで数週間から3カ月程度集中治療を行った後には後方病床(継続保育室)に転床するのですが、この後方病床が不足しているために転床できないで、NICUに数年居続ける赤ちゃんが増えてきています。
出生時1000人に対して3床のNICUが必要であるとされていますが、現在この条件を満たしているのは全国で9県にすぎません。その他の都道府県は受け入れ設備自体が不足しているのです。
しかしなんと言っても、全国的な産科医不足が一番深刻な問題です。なぜならば、施設や機器はお金さえかければ短期間で増設することができますが、経験を積んだ産科医を育てるには10年以上の年月が必要だからです。
厚労省が行った最新の調査結果によると全国で産科の常勤医師数は882名、非常勤医師数が148名でした。非常勤医師は名前の通り非常勤であって、いつでもお産に対応できるわけではありません。実質1,000名に届かない産科医によって年間111万件ほどのわが国の産科医療は成り立っているのです。
単純に割り算をしても一人の産科医が年間120件以上の出産に携わっていることになります。一般の中にはこの数字を「大したことはないな」と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、産科医にとんでもない過労を強いている数字です。
産科医の業務は出産を取り扱うだけではありません。多くは婦人科も担当する産婦人科医ですから、日々婦人科の診療にも当たっています。また、産科の仕事は妊娠から出産までの妊娠管理も大切です。新生児科医が配備されていない病院では、出生後の新生児の健康管理や治療も業務範囲です。
昼間は朝から産婦人科の外来診療と出産や手術に携わり、夜間も受け持ちの産婦の分娩に当たる日々です(どういうわけか出産は夜間に多い)。当直医でなくてもほぼ24時間勤務を強いられることが多いのです。そこへ当直となれば高度の医療を要求される救急患者が運ばれてきます。現在の我が国の産科医たちは体力の限界ぎりぎりの生活をしているのです。
そこへ持ってきて、大野病院事件のように理不尽な刑事告発です。過酷な生活を「先生どうもありがとうございます」の一言に勇気づけられて頑張ってきた産科医たちの誇りを踏みにじる出来事でした。産科医療をやっとの思いで死守してきた産科医たちが一斉に産科医療から撤収したくなる心情は十二分に理解できるものです。
国は産科医療崩壊に対して、産科医療の保険点数をわずかに増加させることによって、医師を産科医療に呼び戻そうという、相も変らぬ官僚特有の机上理論で乗り切ろうとしています。馬の顔先にニンジンをぶら下げるやり方です。
「我々医師を馬鹿にするな」と声を大にしたい。保険点数の増加は当然のことですが、厚労省が提示しているような少額では、いつ倒産しても不思議ではない全国の病院にとっては焼け石に水です。
国民に高度医療を提供しろというならば、営利とは相いれない医療の世界に医療経済学などという本末転倒の理論を持ち込んだ根本的な非を認めて、社会保障の本来あるべき姿に立ち戻らせることから始めなければいけません。
一般の方はあまりご存じないようですが、私たち医師という職業は産科に限らず、労働基準法から除外されています。看護師や事務職員と違って、当直をしたからといって翌日が代休になることはありません。連続36時間勤務や48時間勤務が当たり前とされてきました。
眠たい目を擦りながら、外来診療をしたり手術に臨む。それが当たり前とされ、医師たちも声をあげて抗議してきませんでした。それは医療の原点は社会奉仕にあると叩き込まれてきたからです。医師が少数派で声が小さいことにつけこんで、国は長年にわたって私たち医師を先進諸国の中でも群を抜いて安い医療費でこき使うだけこき使い、世界でトップ水準の医療を提供させてきました。
飽くことを知らぬ厚労省は、自分たちは年金をはじめありとあらゆる利権を食い尽くす一方で、本当に必要な医療に纏わる国家支出をさらに削減するために医療者に対するネガティブキャンペーンを張り続けてきたのです。
「医師は儲けすぎている。」「医師はサラリーマンに比べて高所得すぎる。」「医師はさぼりたいために救急患者をタライ回ししている。」等々です。医療者を一般国民の敵役に仕立てて、医療費削減を円滑に進めようとしたのです。こういった国の悪だくみに果たしたマスコミの役割も小さくありません。A新聞などは医師の不祥事さえ書けば発行部数が伸びると考えたのでしょうか、公正な報道とは程遠い医師に対するバッシングを繰り返してきました。
国民も見事にこのキャンペーンに乗せられました。風邪で診療を受けても「ありがとうございました」という、従来のごく素朴な医療に対する感謝の念はいつの間にか消え失せました。医師は金儲け第一主義の輩であると考える人が増えてしまいました。
確かに、いつの時代、どの集団にも必ず不心得者はいるものですが、「窮すれば濫する」のたとえのごとく、自ら医師の尊厳をかなぐり捨てて医療商人になり下がった連中が増えてきているのも事実です。苦しい時期であるからこそ、私たち医師も反省・自戒しなければならないと思います。
さらに、医療そのものに対する理解も誤った方向へ変化してしまったようです。高度の医療を受けられることが当たり前の権利だと思うようになってしまいました。専門家から見れば、難治で治癒する確率が低い疾患でも、「治癒例があるのだから自分も治って当たり前。治らないのはその医師の技量が低いか、真剣でないのだ。」と考える方も少なくないようです。こういった風潮の象徴的な出来事が「大野病院事件」です。
この事件はちょうど国民が最も危機を感じている産科を舞台にしていました。そういう背景があったために、無罪判決が分水嶺となって、世論の風向きに変化をきたすことになりました。
遅きに失した感はありますが、現場医師の労働環境にもスポットライトが当てられるようになり、国がこれまで行ってきた無定見な医療点数の削減や新臨床研修制度*4による甚大な弊害についての論述もなされるようになりました。 しかしマスコミからは、これまで国のお先棒を担いで少数派である医療者を徹底的に悪者に仕立てて攻撃してきた、自らの誤りに対して反省の言葉はありません。それどころか、産科救急医療の悲惨な現状を伝える報道において、未だに「受け入れ拒否」とか「タライ回し」という文言を使っています。
「タライ回し」とは足で盥を回す曲芸から、一つの物事を、責任をもって処理せずに次々と送りまわすことです。現在の救急医療現場は積み重なった多くの要因によって盥を回すために必要な足そのものをもがれた状態です。
壊滅的に保険診療点数を下げられた医療機関は、経営維持のために1例でも多くの診療を行い、収入を得たいのです。診療可能であるのに断る病院など稀有であろうと考えます。
繰り返して述べますが、現在の救急医療において起こっている悲惨な出来事は、決して「受け入れ拒否」ではなく、「受け入れ断念」なのです。この点を明確に表現しない限り、我が国が直面している医療崩壊の実体が正しく認識されず、またもや医療者に責任を押し付けて、正しい政策転換を困難にさせてしまうと考えます。
言論人はぜひとも言葉を吟味して正しく使っていただきたいものです。
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*1新生児特定集中治療室(Neonatal Intensive Care Unit):超低出生体重児、低出生体重児や疾患のある新生児を集中的に管理、治療する部門。常時医師が勤務して、当直が他部門と兼任ではないことバイオクリーンルームであることなどが求められている。このために現在の診療報酬ではNICUは採算がとれず赤字となり、病院経営を圧迫する。
*2超低出生体重児:出生時の体重が2,500g未満の新生児を低出生体重児(Low Birth Weight Infant ; LBWI)と呼ぶ。さらに1,500g未満を極低出生体重児(Very Low Birth Weight Infant ; VLBWI)、1,000g未満の場合を超低出生体重児(Extremely Low Birth Weight Infant ; ELBWI)と分類する。昔は極低出生体重児を獄小未熟児、超低出生体重児を超未熟児と呼んでいた。
*3NICUは他の診療科と兼任をしない専任の医師、看護師などの医療スタッフ、患者一人当たりの専有面積、高度医療機器、バイオクリーンルームであることなどの厳しい設置基準があるために、その設置は病院にとって大きな経済的負担となる。
*4新臨床研修制度:2004年4月にスタートした臨床研修制度。プライマリ・ケアを中心とした幅広い診療能力の習得を目的として2年間履修することを義務付けている。マッチング制度というお見合い方式を取り入れたために、研修医は研修先を自由に選択できるようになった。その結果、研修医が都市部に集中し、地方の医師数が激減した。さらに研修医のアルバイトが禁止されたために、全国の病院で夜間および休日の当直医の確保が困難となった。また、大学付属病院から研修医が激減したために、大学病院が人手確保のために、それまで関連病院に派遣していた医師を引き上げたために、人口過疎地の病院が医師不在になり、閉院せざるを得なくなった。このために地方で無医村地域が激増している。