認知症の方の介護は、そうでない高齢者の介護に比べて数倍の労力を必要とします。国も認知症対策を高齢者福祉政策の中核と考えて、認知症の予防や早期発見、早期対策に力をいれています。もっとも、国の認知症対策の動機は医療・福祉にかかわる歳出を削減したいという経済的な観点からですが、動機はともかく結果として国民の利益につながれば結構な話です。
各医療機関で「物忘れ外来」と称する認知症の診療を専門とする科を作って、認知症を早期に発見して、進行を防ごうという試みが全国で行われています。一般の人を対象にした啓蒙活動もいろいろな媒体を使って盛んに行われています。また、患者さんたちと日頃接触する機会の多い、内科を中心とした一般科医師の認知症に関する知見を深めるための行動もなされています。認知症のごく初期の症状を発見できる機会が多いのは一般科医師であって、私たち専門科を受診する時には、すでに相当進行した段階になっている場合が多いのが現状だからです。
こういった取り組みの他に、映画やテレビドラマが認知症を題材に取り上げるようになったお陰で、認知症に関する知識は一般の方にかなり広まってきました。中でもアルツハイマー型認知症の啓蒙は飛躍的に進み、今や「アルツハイマー」という言葉を知らない人はいないのではないでしょうか。
認知症を大きく分類すると①変性型認知症、②脳血管性認知症、③その他の認知症の3群に分けられます。アルツハイマー型認知症は①変性型認知症の代表疾患です。しかし、変性型認知症はアルツハイマー型認知症だけではありません。この変性型認知症の中で、かなりの数の患者さんがいると思われるのに、まだ充分に周知されていない病気の一つにレビー小体型認知症があります。今回はこのレビー小体型認知症についてお話します。レビー小体型認知症は日本人研究者、小阪憲司が1978年、世界で最初に報告した神経変性疾患です。死後脳を観察しますと、大脳皮質、辺縁系、脳幹においてびまん性に神経細胞の変成した病変が見られます。その病変は神経細胞の中にα-synucleinというたんぱく質を主要成分とする物質が封入された状態です。この封入体がレビー小体なので、レビー小体型認知症(Dementia with Lewy bodies,DLB)と呼ぶのです。
レビー小体はもともとドイツの病理学者Frederic Heinrich
Lewy
(1885~1950)が1914年に発見した病変で、パーキンソン病の際に黒質を含む、脳幹で認められて、パーキンソン病の病因と深く関係のある病理変化であることが知られていました。
以前は、パーキンソン病そのものでは認知症のような知的機能の低下はきたさないし、レビー小体は大脳皮質には現れることはないと考えられていました。しかし小阪の発見以来、同じような病変が認められる認知症の報告が続き、やがて国際的に認知された疾患となりました。
臨床症状の特徴としては、①認知症状が変動しやすい、②鮮明で具体的な幻視、③パーキンソン症状の3つがあげられます。また、夜中に興奮して訳の分からないことを叫びだす、夜間せん妄が高率に出現します。
レビー小体型認知症は認知症全体の約20%を占め、アルツハイマー型認知症に次いで2番目に多いと言われています。また、上記のように特徴的な症状を示すにもかかわらず、病気そのものが未だ充分に知られていないことや、早期にはこういった特徴的な症状が出揃わないことなどから、臨床症状だけからでは、しばしばアルツハイマー型認知症、パーキンソン病、うつ病などと誤診されているようです。
MRIやCTなどの画像検査ではアルツハイマー型認知症で見られるような側頭葉内側の萎縮が比較的軽度です。SPECTやPETといった大がかりな検査を行うことができれば、後頭葉を中心として大脳がびまん性に血流低下・糖代謝低下していることが認められます。
自律神経機能検査の一つであるMIBG(メタヨードベンジルグアニジン)心筋シンチグラフィーを行うと、パーキンソン病と同様に心筋への集積率が低いということが分かっています。したがって、この検査がアルツハイマー型認知症との鑑別に有用であるとの主張もありますが、かなり特殊で高価な検査なので一般的には普及していません。
なぜ、レビー小体と呼ばれる封入体が大脳全般の神経細胞に出現するのか。どういうメカニズムで封入体が生成されるのか。パーキンソン病との因果関係はあるのか。といった、病因の中核に迫る解明にはまだまだほど遠い状態です。比較的研究の進んできたアルツハイマー型認知症に比べて未開な病気と言えます。
さて、レビー小体型認知症はしばしば、知的機能の低下が目立つ前に、幻覚、妄想とそれに基づく異常行動が出現することがあります。こういった場合、この病気を理解していない医師から睡眠導入薬やいわゆる安定剤(抗不安薬)を処方されて、ますます症状が増悪してしまう例が少なくありません。
レビー小体型認知症に限らず、脳の器質的な病変によって起きる睡眠障害や不穏には、成人に対して通常使用される睡眠導入薬や安定剤が、治療効果を示すどころか、まったく逆に症状増悪をもたらすことが高率に起こします。
同じ薬物が対象者の年齢によって正反対の薬効を示すことは、中枢神経系に作用する薬物では珍しいことではありません。例えば、一部乱用者の出現で昨年話題をさらったリタリン(methylphenidate)は、成人に対しては覚醒度の上昇や興奮をもたらすのに、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の小児の過活動に対しては劇的な鎮静効果を示します。
対象の年齢によって薬物の効果が逆転(reversible
action)するメカニズムについての正確な答えはまだ出ていませんが、おそらく作用を受ける脳神経細胞のネットワーク構築の違いによるものと考えられます。
この中枢神経作用薬の基本的性質は薬理学の基本的な知識なのですが、一般の医師の間では充分に理解されていません。このために、安定剤を投与されて興奮がひどくなった状態で、私のところに紹介されてくる患者さんがよくいらっしゃいます。この際にはそれまで服用していた安定剤や睡眠導入薬を中止するだけで症状が改善することがあります。元来存在していた不眠、せん妄、興奮などには抗精神病薬、抗うつ薬、抗てんかん薬の適量投与が有効です。
中でも、抗精神病薬が有効な場合が多いです。症状、年齢、身体機能などに応じて適切な抗精神病薬を適量(試行錯誤による匙加減の調節が必要ですが)投与すると、劇的に症状の改善を見ることがあります。
ところが、レビー小体型認知症の治療はとてもやっかいです。なぜならば、抗精神病薬は副作用としてパーキンソン症状を引き起こしやすく、パーキンソン病の治療薬は幻覚や妄想を惹起する危険性を持っているからです。レビー小体型認知症はパーキンソン症状と幻覚・妄想の両者を示すために、薬理学的に相反する効果を同時に要求されることになり、治療者の頭を悩ませます。
それならば、何もせずに放っておくのが一番であるとの結論になりそうですが、実際の介護の現場ではそうも言っていられません。高度の精神症状やパーキンソン症状は最低限の生活行動を確保することさえ困難にさせますし、ひいては患者さん自身の予後、生命維持にさえ影響を及ぼします。
最近開発された新しいタイプの抗精神病薬はパーキンソン症状に対する悪影響が極めて少なくなっています。また、抗パーキンソン薬も、種類によって精神症状発現の危険性に大きな差があります。したがって、本疾患の症状に対しては、認知症治療経験の豊富な専門医が、副作用の少ない薬剤を量の調節をしながら投与して、注意深く状態を観察していくしかありません。
抗精神病薬や抗パーキンソン薬による治療はあくまで対症療法です。本疾患の病因に対する根本治療ではありません。レビー小体型認知症の核心的な病因が不明の現在、根本治療法を望むこと自体無理なのですが、今のところ、アルツハイマー型認知症の治療薬である塩酸ドネペジル(アリセプトR)や漢方薬の抑肝散がこの疾患にも有効と言われています。しかし、未だ試行錯誤的な範疇を脱してはいません。
「アルツハイマー」という言葉が普及した結果、お年寄りが物忘れをしだすと、すべて「アルツハイマー」ということで片付けて、機械的にアリセプトを投与するという傾向がみられます。確かに、アリセプトは甚大な副作用が少なく、アルツハイマー型認知症以外の認知症にも効果がないとは言えないので、アリセプトの投与自体は悪いこととは考えません。
しかし、認知症の中核である知的機能の低下以外のさまざまな随伴症状が出現しても、「アルツハイマーだから仕方がない」と諦めて、診断や治療が再検討されないケースが少なくありません。ただただアリセプトを処方し続けるだけだったり、不適切な薬剤を投与して余計に症状を悪化させたりすることが多いのです。きちんと鑑別診断をして、症状に応じて適切な治療をしなければなりません。なぜならば、認知症の中核症状は治せなくても、種々の随伴症状を改善すれば介護しやすくなります。介護がしやすければ、それだけ患者さんをよい状態で生活させてあげることができるからです。
介護専門職の中に、「薬は身体によくない」、「薬の力を借りずに介護するべきだ」という誤った先入観を持っている方をしばしば見受けます。薬を使えばうまく解決できそうな症状なのに、薬の使用を拒んで、悪戦苦闘しているのです。
必要もない薬を服用させることがよくないのは当然ですが、薬の力を借りることによって、質の高い介護を効率よく提供できるならば、薬の力を借りるべきではないでしょうか。それを拒んで悪戦苦闘しても、それは徒労というものです。介護する側だけでなく、介護されるお年寄りにとっても不利益以外の何ものでもありません。
多彩な症状を示すレビー小体型認知症は介護のプロと医療のプロとの緊密な連携プレイをとくに要求される疾患だと考えます。