投稿日:2008年3月10日|カテゴリ:コラム

統合失調症(Schizophrenia)における思考障害というと誰もがすぐに「妄想(英delusion、独Wahn)」を思い描きます。この妄想は思考内容に関する異常です。
しかし、統合失調症にみられる思考障害は思考内容の異常のほかに思考過程の異常と思考体験様式の異常があります。思考内容の異常と同じくらいポピュラーにみられる症状です。
妄想については過去のコラムでも取り上げましたし、この先により詳しくお話したいと思っておりますので、今回は思考過程の障害を取り上げてみたいと思います。

まず思考過程の障害について説明する前庭として、思考(英thinking、独Denken)という機能とはどういうものなのかということを説明しなければなりません。
下等動物は自分にとって困難な状況に直面すると、本能や過去の習慣に従って運動を乱発してその状況から逃れようとします。高等動物になると直感的な見通しによって行動して、困難な状況から逃れるようになります。
人間になると過去の経験、それまでに得た知識を総動員して、その状況から逃れる方法を頭の中で考え出すことができます。この作業は主として概念的な知識と言語によってなされます。この作業を「思考」と呼びます。
したがって、思考とは内面化された行動ということができます。言葉として頭の中に分類、整理されている数多くの概念を内言語(英inner speech、独innere Sprache)というプロセスによって有機的にむすびつけて体系化し、纏め上げていく目に見えない行動です。
最近の霊長類の行動に関する研究にはめざましいものがあり、チンパンジーの知能が昔想像していたよりもずっと優れていることが分かってきました。チンパンジーはいろいろな道具を巧みに利用すること、過去の体験から学習してより効率的な行動をとることが知られていて、人間に近い思考機能を持っていることが分かっています。
しかし、チンパンジーの場合には具体的なものによって思考しています(具体的思考〔concrete thinking〕)。人間の場合も幼少児期は具体的思考、個別的な思考ですが、成長して脳が発達していくにしたがって言葉で表わす概念を通しての抽象的思考(abstract thinking)ができるようになります。
話が難しくなりましたが、人間の思考は入力された情報を系統的な回路(内言語)を通じて、数多くのメモリー(蓄積された概念)の間を相互に伝達しあって出力(情報に対する対応)するコンピューターの作業工程と似ています。
入力段階での誤りがあれば正しい結果が得られないことは言うまでもありません。つまり幻覚や錯覚に基づいてなされた思考結果が現実とはそぐわないものになります。またメモリーに蓄積されている情報が誤っていたり、情報そのものが少ない場合にも出力される対応は適切なものになりません。知識の乏しい人、手持ちの概念の少ない人、語彙の乏しい人の思考は貧困です。
また、博識で言葉の豊富な人に正しい情報が入力されても、概念と概念をむすびつける過程がおかしくなっては正常な思考は成立しません。この概念と概念を効率よくむすびつけて結論へと進めていけなくなった状態を思考過程の障害(英disorder of thought train、独Gedankengangströbung)あるいは思路障害と言います。

主な思路障害には以下のものがあります。
1.保続症(perseveration):同じ観念がくり返して現れて思考が先に進まない状態です。以前政治家の答弁を揶揄したコラムで取り上げたことがあります。認知症などの脳の器質的な病気の際に見られます。
2.冗長症(Weitschweifigkeit):目的の観念とあまり関係のない観念を捨てることができないために、余計な回り道をしてなかなか結論に達しない状態です。てんかんの人や精神発達遅滞の人にみられます。
3.迂遠症(circumstantial thinking):冗長症と似ていますが目的観念は失われることはありません。話の順序も整っています。しかし、一つ一つの観念にとらわれてしまうために、その都度その観念に対する注釈を付け加えたり、言葉を変えたりして反復して話をするために思考が円滑に進まない状態です。思考の主要な道筋をまっすぐに進めばよいのに途中の横丁に寄り道ばかりしてなかなか目的地に着けないのです。これもまた、てんかんの人にみられます。
4.思考制止(inhibition of thought):純粋に思考の進むスピードが遅くなった状態です。目的観念が失われることもなく、話の寄り道もしません。渋滞の高速道路に似ています。うつ病に特徴的な症状ですが、過労状態の人にもみられます。主観的には「考えが頭に浮かんでこない」、「考えが纏まらない」と表現されます。
5.思考阻害(blocking of thought):思考の進みが急停止して、その後にまた急に発進する。思考の進み方が断続的になってしまうのです。客観的には、問いかけてもしばらく黙っているが、急に話し出したかと思うとまた黙ってしまう状態として観察されます。主観的には「考えが急に止まってしまう」、「急に何を考えてよいか分からなくなる」、「考えが消えてしまう」、「考えが奪い取られる」、「考えが盗まれる」という表現になります。統合失調症にきわめて特徴的な思路障害です。
6.観念奔逸(flight of idea):思考制止の反対で、観念が活発に次から次へと現れてくるために、思考がわき道にそれて目的観念を失う状態です。一つ一つの観念相互の間には表面的な関連性はありますが、全体としては統一性がありません。客観的には考えが次から次に飛んで纏まりの悪い話として観察されます。躁病の人や酔っ払いに見られます。
7.支離滅裂(incoherent thinking):考えの進み方、すなわち観念と観念の結びつきに論理的関連がなくなってしまう状態です。思考全体がまったく纏まらなくなりますから、話を聴いていても、いったい何を言おうとしているのか、何を話しているのかさっぱり分かりません。この症状も統合失調症に特徴的な思路障害です。

統合失調症に特異的な思考過程の障害は「思考阻害」と「支離滅裂」です。それぞれ程度は軽いものから重度のものまであります。重症になれば経験の浅い人が見てもすぐに分かります。
支離滅裂が高度になるとまったく論理的に関連性のない観念が頭の中に次から次へと現れてきます。もぐら叩きのもぐらのようなものです。こうなるとその人のしゃべっていることは単に無意味な言葉の羅列になります。「言葉のサラダ(word-salad)」と言います。他者との意思の疎通は成立しません。
しかし、程度の軽い思路障害は臨床経験が豊な精神科医でなければ見逃してしまいます。軽症の思考阻害と思考制止との鑑別は容易ではありません。「元気がない」という訴えの統合失調症の患者さんをうつ病と誤診する一因になっています。
また、支離滅裂もごく軽度の「連合弛緩〔loosening of association〕」程度ですと、なんとなく話しに纏まりが欠けるといった程度にしか現れませんから、注意深く観察しないと見落とすことがあります。

以上、統合失調症に見られる思路障害をはじめ、主な思考過程の障害について説明をしました。ここでいう思考過程の障害は、何らかの原因によって本来もっていた機能が損なわれた場合におきてくる症状ですが、よく考えると特別な病気にかかっていない一般の人の中にももともとこういう思考過程の人は珍しくはありません。
政治家の保続症はさておいても、話が冗長だったり迂遠だったりする人は皆さんの周りにもいらっしゃるのではないですか。話がくどくて枝葉にこだわって、一生懸命話しているのに、要するに何を言いたいのかが相手に伝えられない人です。
では、そういう人は生まれつき思考回路の配線がうまくつながっていないのでしょうか。確かに不幸にも先天的に脳に障害をもって生まれてくる方もいます。しかし私は、思考を円滑に進めることができない方の大半は思考するという訓練不足の方であると思います。
つまり、筋肉と同様に脳も使わなければ機能はどんどん退化します。ちゃんとした思考の道を授かったにもかかわらずに、それを使わないでいれば、やがてその道は塞がれてしまいます。動物の往来が途絶えた獣道が原野に戻ってしまうのと同じです。
また、回路は正常でもその上を走らせる言語化された概念が足りなければ正常な思考はできません。思考は頭の中の言語で行っている作業です。そして、バイリンガルの方は別ですが、多くの日本人は頭の中の日本語で考えています。
理科系と文科系の代表格であるために一見するとかなりかけ離れた学問と考えられがちな数学(算数ではない)の能力と国語の能力との間には高い相関が見られます。論理的な思考には言葉が欠かせないのです。
近頃、英語がしゃべれなければ世界で通用しないという理由から、英語教育を低年齢から開始することが推奨されています。確かに、日本語は言語学的にはかなり特殊な言語で、海を渡ったら通用しません。英語ができるにこしたことはありませんが、それはあくまできちんと日本語を習得し、豊富な語彙で論理的に思考する能力を身につけていることが前提条件です。
外国人に尊敬されるのはペラペラと外国語をしゃべれるだけの自動翻訳機みたいな人ではありません。きちんとした思考ができて、高い情操を身につけた人であれば、たとえその表現が上手でない英語であっても必ず尊重されます。相手はことばそのものではなく、その奥にある人格を見ているのですから。
英語に力を注ぐあまり、自分たちの思考の基礎である国語教育がおろそかになることだけは絶対に避けなければなりません。語彙に乏しく、国語力が低くなることは、すなわち思考力が低くなることだからです。本末転倒です。
国を担うのは人です。金利の操作のようにすぐに成果は現れませんが、人の能力を高くすることが十年先、二十年先の我が国の国力を高めることになります。我が国の将来の国力について考えた場合、国語の教育にもっと力を注いでいただきたいものです。

統合失調症の思路障害について書いていたはずが、いつの間にか国語力の話になってしまいました。このコラムが冗長症の文章のよい例です。

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