既視感(デジャ・ブ〔déjá-vu〕)という精神医学用語は一般社会でも使われることがあります。初めて見る景気や情景を、以前に見たことがある、経験したことがあるかのように錯覚することで、記憶という機能の錯誤の特殊なものです。
精神の病気の症状としてみられることがありますが、とりたてて病的な状態になっていない健康な人も体験することのある現象です。
既視感とはまったく正反対に、見慣れているはず、日常的に体験しているはずのものごとをすべて、初めて見たり体験するかのように感じる現象を未視感(ジャメ・ブ〔jamais-vu〕)と言います。こちらは、案外一般的にはなっていないようですが、この現象も病的な症状の場合もあれば、正常人も体験することがあるようです。
広島、長崎への原爆投下を弔う、8月6日の広島平和記念日と9日の長崎平和記念日。そしてそれに引き続く8月15日の終戦記念日。8月に入って、こういった一連の記念日の前後になると、各メディアは太平洋戦争(第2次世界大戦)に関連した報道やドラマを特集や特別番組として報道、放送します。
戦後62年たって、実体験として戦争を記憶している方のほうが少なくなりました。私も戦後生まれです。5歳年上の兄は1945年2月の生まれですから、一応戦争中に生まれたわけですが、1歳にも満たない乳飲み子に、戦争の記憶があるわけがありません。
平和ボケした戦後生まれの私たちは、ともすると平和は空気のように当たり前にそこにあったもののように感じてしまいます。
現在も世界中で悲惨な殺戮が行われているにもかかわらず、戦争は他人事と、そ知らぬそ振りであったり、バーチャルなゲーム感覚でとらえたりして、戦争や平和というものが、自分自身と切り離せない重要な課題であることを忘れがちです。
しかし、もの心がついてから毎年8月になると繰り広げられる、先の戦争にまつわる平和キャンペーンのおかげで、1年のうちの少なくとも1週間あまりは、戦争と平和とについて考える機会を与えられてきました。
平和の尊さ、平和を守ることの難しさ、大衆がいかに簡単に戦争に突き進んでしまうか、戦争が想像しているよりもはるかに身近なものか等々について、思い返させてくれる貴重な8月です。
一連の報道や映画、ドラマの登場人物を自分や自分の恋人や知人と置き換えてみてください。実際に私たちの両親や祖父母の代の人々が体験した現実なんだということが伝わってくるはずです。
戦後生まれの私たちも、戦争前後の悲惨な状況を繰り返して、思い巡らせることによって、我がことのように感じるようになることが大切ではないでしょうか。つまり戦争体験のデジャ・ブが必要だと思うのです。
ただし、この際重要な条件は、歴史的な事実をできるかぎり公平な立場で伝えるということです。真の公平は理想であって、絵に描いた餅。現実には何らかのバイアスがかかることはいたしかたないとはしても、かたよった信条や政治的な思惑から、私たちに意図的に偏向した情報を与えてはいけません。
現在、9条を中心の課題として、憲法改正が現実的な問題として取り上げられてきています。「戦後レジームからの脱却」、「現憲法は占領軍によって押し付けられた憲法である」といったスローガンが叫ばれるようになりました。
確かに、現憲法は第96条において、この憲法自身の改正を認めています。憲法施行から60年を経過して、日本を取り巻く世界の状況は大きく変わってきていて、今の憲法の中には今の現実とはそぐわない部分も出てきていることは否めませんから、国民が真剣に憲法について考えることは大切だと思います。
しかし、私が危惧するのは国民がこの大問題を高い判断レベルで熟考する前に、郵政民営化の時のように、一種の集団催眠状態におちいって、いっきに右傾化させられて、再び戦争への道を歩き出すことです。
8月の戦争にまつわるキャンペーンでは広島、長崎でのアメリカ軍による原爆投下とそれによってそれによってなされた、一般人(直接戦闘にかかわっていなかった人々)の大量虐殺が中心になりがちです。
しかし、それならば、沖縄における民間人の悲劇や南京虐殺、陸軍731部隊による人体実験についても思い起こさなければなりません。戦争は一方的に被害者であったり、加害者であることはありえません。
南京虐殺に関しては政治的に虐殺された人数が問題にされていますが、そのような事実があったことは認めるべきでしょう。
731部隊に関しても、この問題をクローズアップさせるきっかけとなった森村誠一氏の小説『悪魔の飽食』
に挿入された写真の一部が贋物であったことを盾にして、731部隊の行動そのものを否定しようとする動きもあります。
「悪魔の飽食」の細部にわたる記述や数字が正しいか否かについては問題があるとしても、731部隊の存在とその目的を否定できるものではないはずです。ドイツにおけるネオナチの台頭と併せて、大変怖い傾向です。
ことに、731部隊の人体実験に関しては、主役が人の命を救うべき医師であったことから、私たち医師はけっして目をそらしたり、忘れたりしてはいけないと思うのです。しかしながら、未だに日本の医学界はこの問題に対しての総括を行っていません。
その背景には、貴重な(?)細菌兵器や毒ガス兵器に関する人体実験から得られたデータを独占したかったアメリカ軍の思惑があったようです。
その結果、731部隊隊長であった石井四郎中将をはじめとして部隊の責任者たちは、実験データと引き換えに免責をうけて、極東軍事裁判にかけられることもなく、復活をとげました。
さすがに、石井は医学界に復帰することはできませんでしたが、米軍相手の売春宿を経営して67歳で天寿をまっとうしました。その他の幹部たちは医学界のさまざまな分野のトップとして復帰しました。多くの国公立大学の教授として君臨。学長にまで登りつめた人もいました。
そして、そういう頭のよい、偉い人たちが例外なく示した症状がジャメ・ブでした。このために、戦後医学界では731部隊の件についての総括はタブーとされてしまったのです。
石井四郎の右腕であり、戦後にアメリカ軍との免責取引の中心人物であった内藤良一は、731部隊で得たワクチンや血液に関する豊富な知識をもとに、731部隊の仲間とミドリ十字(現在、三菱ウェルファーマに吸収合併された)という会社を興しました。
血液製剤のトップメーカーでした。この会社の非加熱血液製剤によってひきおこされた薬害エイズの悲劇は記憶に新しいことだと思います。
60年以上前に満州の地で行われていたであろう、医師による残虐な行為がデジャ・ブとして重なってしまうのは私だけでしょうか。
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1『悪魔の飽食』1981.11、光文社、『悪魔の飽食
新版―日本細菌戦部隊の恐怖の実像!』角川書店1983.6。森村誠一が日本共産党員であった下里正樹の取材をもとに日本共産党の機関紙である赤旗の日曜版に連載し、後に単行本化された。太平洋戦争中に、石井四郎軍医中将を中心とした軍医達による細菌兵器研究を目的とした秘密部隊、陸軍731部隊が占領下の満州で、中国人、ロシア人、朝鮮人たちを対象に行った人体実験を告発した小説。取材源が日本共産党ということと、当時の写真というものの中に贋物があるということが判明して、プロパガンダ小説との批判を浴びて、光文社版は回収されて絶版となった。後に問題写真を削除した上で角川書店から新たに出版された。角川書店からの出版に際しては右翼からの攻撃を恐れて角川社長の身辺警護をした上での発刊となったほど、いわくつきの小説。