安倍政権はようやく高速増殖炉型原子力発電炉「もんじゅ」を廃炉する方針を決めたようだ。
高速増殖炉とは通常型原子炉で使用済みとなった核燃料を再利用して発電すると同時に、中に含まれている燃えカスのウランをさらに核分裂可能なプルトニウムに変換するという原子炉。つまり使えば使うほどさらに燃料が増えていく原子炉で、大規模なウランの鉱床を持たない我が国にとって夢の原子炉と思われていた。
具体的な仕組みは燃料の主体をウランではなくプルトニウムにする。そしてそのプルトニウムの周囲に使用済みで燃えなくなったウランを配置する(MOX燃料)。そして炉内で中性子が減速しないように、原子炉内を通常の原子炉の水ではなく液体金属ナトリウムで満たす。すると、プルトニウムの核分裂反応によって発生した高速のプルトニウムが燃えないウランに反応してプルトニウムに変換される。
こうして増えたプルトニウムを取り出して、燃料に再加工して再度高速炉で燃やす。この過程をエンドレスに繰り返せば、きわめて少量のウラン燃料を基に半永久的に原子力発電を繰り返すことができる。この目論見が、自民党政権が長らく描いてきた「核燃料サイクル」であり、そのための再加工をするのが青森県六ケ所村に建設中の再処理工場だ。
しかし、この夢のような原子力発電を担うために福井県敦賀市に作られた高速増殖炉「もんじゅ」は冷却剤として使われる非常に危険な液体金属ナトリウム漏出事故(1995年12月)、炉内での機器落下事故(2010年8月)のほか、繰り返される点検漏れが発覚して、1994年4月に初稼働したものの1995年12月以来、21年近く休止状態が続いてきた。
「もんじゅ」を中心としたこの核燃料サイクルには、これまでに少なくとも12兆円以上が費やされてきた。また休止していても施設の維持・運営費に年間約1600億円がかかる。
こんな金食い虫の欠陥システムに対して当然批判の声が大きかったが、国は我が国のエネルギー政策の根幹として存続の方針を崩さずに悪あがきを続けてきた。しかし、その悪あがきも限界となり、やっと今年中に「もんじゅ」廃炉へと方針転換したのだ。
だがこれで一安心というわけにはいかない。通常の原子炉以上に廃炉作業が困難である。日本原子力研究開発機構による身びいきの試算でも30年の期間と3000億円以上の費用がかかるとされている。今さら、「もんじゅ」廃炉と言われても遅きに失したと言わざるを得ない。
それなのに、やはり不祥事続きで未だに建設途中の六ケ所村、「もんじゅ」廃炉にも拘わらず、国は未だに核燃料サイクル構想を続けると言い張っている。フランスと共同開発の高速増殖炉や、やはり燃料交換機能トラブルで2007年以来運転停止している茨城県大洗市にある実験炉「常陽」を使ってMOX]燃料製造を製造するとしているのだ。政策の失敗を絶対に認めない「国に誤りなし」をあくまで押し通すのだろうか。
当然ながら、「もんじゅ」廃炉にかかる高額な費用は国民の負担となる。
それだけではない、東日本大震災で多くの人々の暮らしを奪い続けている福島第1原発の廃炉費用も国民の電気料金に上乗せする方針を打ち出した。福島第1原発の廃炉費用は当初2兆円と見積もられていたが、実際にはその作業は困難を極め、未だに明確な作業工程さえついていない。したがって、費用も未確定だが、現時点での計算で10兆円を下らないとされている。
この費用を電気使用者である国民に払わせることに決めたのだ。しかも電力自由化で東京電力からの電気を買わない者にも負担させるために、消費電気料として徴収するのではなく、送電網の利用料に上乗せする方法をとる。
原子力発電に「否」を表して、原発を使わない事業者から電気を買ったとしても、強制的に福島原発の後始末を負担させられることになる。
政府は原子力発電はコストが安く経済効率だと言って原発の必要性を力説しているが、気の遠くなるような巨額の廃炉費用まで計算すれば、他の発電手段に比べてはるかに高価な電気になる。
原子力発電が国民の生命を危機にさらし、国土の荒廃をもたらすことは福島事故ですでに証明された。その上、経済的にも割高な原子力発電。もう、これを存続させる論理的根拠は破綻している。
何故に、これでもまだ原発を稼働させ続けるのだろうか。
国を滅ぼしても利しようとする一部の連中の謀略としか考えられない。