先日、自宅の立て直しにともなって仮住まいに引っ越しをした。この引っ越しの準備と後始末のために2週間以上、大学生の頃以来40数年ぶりに、睡眠時間4時間の生活を余儀なくされた。その結果、2007年に書き始めてから、胆石の手術を受けた時にも書き続けて、1回も休むことのなかったこのコラムを、3週も休むことになってしまった。
コラムが更新されないので、私の健康状態を心配された方もいらっしゃったようだが、実はこれが真相なでご心配なく。
さて、なぜたかだか1回の引っ越しの準備にこれほどのエネルギーを消費しなければならなかったかというと、一軒家からマンションへの転居だからだ。しかも今まで住んでいた家はかなり大きな家で20年近くも住んでいた。その巨大空間に蓄積された物品の量たるや想像を絶するものであった。
収納する場所に余裕があると、ついまとめ買いをしてしまう。まとめ買いをした方が1個当たりの単価が安くつくからだ。25年ほど前に大量購入した透明ごみ袋など、この引っ越しを終わってもまだ20袋ほど残った。
また、その時不要と思われるものでも、もしかしたらいつか使う機会があるかもしれないといって、とり置いてしまう。こういった物はやがて普段使用する物に押されて奥へ下へと移動ささせられて、いつしかその存在さえ忘れ去られてしまう。だから、実際に必要となった時にも使われることはめったになく、ただ物置の奥で鎮座しているだけの存在になる。
そんな物に埋もれた生活に慣れていた私が初めてのマンション暮らし。
最近のマンションは収納スペースが実に巧妙に工夫されていて、かなり大量の物品を収納できる。とはいってもそこは限られたコンクリート空間。明確な限界がある。いざとなったら庭先に晒しておける一軒家とは次元が違う。
そこで、今回の引っ越し準備の大半はこれまで何年も使わずにしまい込んでいた品々を処分する作業であった。マンションのスペースに合わせてとりあえずの生活に必要な品を残して、後は一括処分すれば簡単なのだが、そうはいかない。こちらの思考回路がなかなか変わらないからだ。
夫婦二人の生活には明らかに多すぎる食器を目の前にしても、「使っている物が割れた時のために」という考えが先立ってしまう。
さらには、物置の奥から何十年ぶりに姿を現した物に、新たな思い入れが出てしまう。「ああ、これは家族で旅行した時に買ってきたタペストリーだ」、「これは祖母から譲り受けた火鉢だ。こんな物は今では絶対に手に入れることはできない」、といった具合。これからの生活で火鉢なんか絶対に使う機会はないのに捨てがたいのだ。
こういった思い入れの塊が写真だろう。夫婦それぞれの誕生時からの写真、子供たちの成長の記録、さらには各々の親や祖父母の若かりし頃のセピア色の写真が、段ボール箱10箱以上になった。これは軽々しく処分できない。
極め付きは、亡き母が私のために残してくれた母子手帳。中を見ると病弱だった私を献身的に育児してくれた母の姿が浮かんでくる。そして手帳のページ半ばに綿にくるんだ臍の緒が挟んであった。私が死んだ時、お棺の中に入れてもらうしかないだろう。
こんな調子だから引っ越し準備は遅々として進まない。
大英断して処分すると決めた物についてもまだ処分の方法という悩ましい問題が残った。使い古した下着や何代も型遅れの電気製品はごみとしての処分にためらいはない。だが、ブランド品や未使用の買い置き品など焼却や埋設してしまうには「もったいない」品物も多数ある。
この問題を解決してくれたのが、フリーマーケットだった。家内の友人を介してかなりの品物をフリーマーケットに供出した。片一方が破損してしまったペアグラスの片割れのように、フリーマーケットに出せるほどの代物でない物は、近くの道路わきに紙袋と一緒に「ご自由にお持ちください」の立札を立てて並べた。大半の品物は翌日までにお持ち帰りしていただけた。想い出の品がごみとして燃やされるのではなく、新たな主人に活用されると考えると胸のわだかまりが消えた。
こうして、無駄にごみとして焼却しないように努力したが、それでも大量の物品がごみに出された。我ながら「よくぞこれだけ貯めこんだものだ」と感心したほどだ。
ごみ収集日に次々とごみ袋を運び出している時にふと思った。「あと数年住んでいたらごみ屋敷になっていたんじゃないか」と。
これまでテレビでごみ屋敷の報道を観ると、「はた迷惑を考えないとんでもない奴だ」、「これがホールディング障害とかディオゲネス症候群とかいうものなのか」、「何らかの精神障害の部分症状ではないのだろうか?」などと他人事と考えていた。しかし、もしかすると自分もホールディング障害の気があるのかもしれない。
私だけではない。過去に対する思い入れが強く、もったいない精神の持ち主が社会的に孤立した場合、容易にごみ屋敷の主人になり得るような気がする。特に一軒家に住む人は注意したほうがよさそうだ。
1年後には新しい家が建ち、また引っ越ししなければならない。それまでのマンション暮らしの間に、なんとかコンパクトな生活様式を身に付けたいものだ。