投稿日:2016年1月4日|カテゴリ:コラム

目覚まし時計に邪魔されずゆっくりと目覚める。皆が顔を揃えたらお節とお雑煮を食べ、氏神様への初詣をした後、家内の家と西川家の墓参りをする。これが我が家の元旦の過ごし方。ここ数年このスタイルを通している。

だが、今年は母が郊外の病院に入院しているので行動範囲がいつもよりも広がった。というわけで、元旦の日、車で都内を縦断したのだが、やはり元旦はどこに行っても道が空いていた。昔の東京に戻ったかのようだ。だが、なんとなく昔とは違う。初めのうちは何が違うのか分からなかった。そのうちに気が付いた。お店が開いているのだ。

以前、正月三が日はほとんどの店がお休みであった。だから、年賀に携えていく手土産は歳末のうちに買いおいていたものだ。日持ちのよいおせち料理も元々は買い物ができない三が日の間の食料を確保するための知恵だった。

だが、今では閑散とした道路わきのコンビニやファミレスが、年が変わったことも知らぬかのように営業しているのだ。もちろん客の出入りは普段と比べてはるかに少ない。

デパートもここ数年は元旦からオープンしていた。昨日までは年末売り尽くしで数時間たったら初売りというわけだ。さすがに今年は各社2日からの初売りにしたようだが、西武百貨店は今年も元旦から営業していた。

なんでそんなに慌ただしく生きなければならないのだろう。余裕のないスケジュールで生活していると、心まで余裕をなくして殺伐としてくる。

その上、申年は経済が騒がしくなるというジンクスがあるそうだ。また、ISISによるテロ、安保関連法案等々、世情はますます騒がしさを増してきている。十分すぎるくらい慌ただしいのだから、正月3が日くらい静かに家族で年の始めを寿いだ方が良いのではないだろうかと感じた元旦だった。

 

今年1年が皆様にとって幸多い1年でありますようにお祈り申し上げます。

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