投稿日:2015年7月27日|カテゴリ:コラム

昭和の妖怪と呼ばれた男がいる。現総理大臣、安倍晋三が敬愛し手本とする母方の祖父、岸信介(きしのぶすけ)である。
岸信介は明治29年今の山口市で山口県庁官吏であった佐藤秀助の第5子(次男)として生まれた。父親は婿養子であったため、中学校3年生の時に父の実家で大資産家の岸家の養子となった。中学校卒業後上京して第一高等学校、東京帝国大学法学部と進学する。
大学生の時に、国家社会主義者で二・二六事件の理論的主導者として死刑に処せられた北一輝、大東亜共栄圏思想によって満州侵略の一翼を担ったとして民間人でただ一人A級戦犯として起訴された大川周明らの思想に傾倒した。
大学卒業後は農商務省に入省した。入省後は戦時統制経済を立案・推進し革新官僚として頭角を現した。軍からの信頼を得て東条内閣では商工相、軍需次官を歴任して満州国の5大幹部として植民地経営を指導した。この間に軍、財、官界にまたがる広い人脈を作り、政治家としての基盤を築いた、
敗戦とともに当然のごとく満州植民地政策の中心人物として連合軍からA級戦犯として逮捕され巣鴨拘置所に収監された。これで岸の命運も尽きるはずであったのだが、ここでGHQ(連合軍最高司令官総司令部)内部の抗争という思わぬ展開となった。
当時GHQ内ではマッカーサーの分身と言われたコートニー・ホイットニー准将、チャールズ・ケーディス大佐率いるGS(幕僚部民生局)とウィロビー少将を中心とするG2(参謀第2部)との間に激しい暗闘があった。
当初はGSが優勢であった。占領政策の中心を担い、軍閥・財閥の解体、軍国主義集団の解体、軍国主義思想の駆逐進めた。彼らはニューディール政策に賛同するものが多く、占領下の日本でニューディール政策の実現実験を試みた。すなわち日本に自分たちの理想とする民主主義国家を作ろうとしたのである。現日本国憲法の策定はGSによってなされたと言ってよい。
一方のG2の親玉、ウィロビーは筋金入りの反共主義者で諜報・謀略活動のプロ。彼は労働組合活動を推奨し、日本共産党幹部を釈放し、社会主義的な政策を推進するGSを敵視した。このため右翼や、旧軍の幹部たちに近づいて、反共工作を進めたり、公安警察の復活を策した。つまり反共の目的に戦前旧体制勢力の活用を進めたのだ。
下山事件をはじめとする戦後間もないころの未解決事件の陰には必ずこのGSとG2の暗闘の影があったとされる。松本清張は小説「日本の黒い霧」で、両者の争いによって翻弄された当時の日本について詳しく検証している。
GSとG2の暗闘はやがて諜報と謀略のプロであるG2側の勝利に終わる。岸は本来ならばA級戦犯として処罰されたはずなのに、G2による対日政策の大転換によって救われ、不起訴として釈放される。
命を救われた岸はこれ以降、GHQ撤退後にG2の活動を引き継いだCIAの命を受けて、彼らの支援のもとに政治活動に復活することになる。これは公にはされていないが戦後政治史における公然の秘密である。
1951年サンフランシスコ講和条約の締結と日米安全保障条約の締結によって1952年には公職追放が解除されて、岸は晴れて政界に復帰した。1956年の自民党総裁選に立候補するが僅差で石橋湛山に敗れた。この総裁選ではCIAから提供された巨額の資金をばらまいて金権総裁選の原型を作った。
だがこの男、まさかそれほどの謀略はないと思うので、悪運に恵まれているとしか言えないが、なんと石橋湛山が総理就任2ヶ月で脳梗塞に倒れた。このために1957年2月25日石橋の指名によって居ぬきで第56代内閣総理大臣に就任した。
総理大臣就任から死人まで出た60年安保の強行採決によってその任を辞するまでの活動については今回省略する。
岸は政界復帰後一貫して自主憲法制定を掲げてきた。もちろんその政治理念には本人の意向がなかったとは言えない。しかしGS主導で策定された日本国憲法を破棄したいという命の恩人、G2の意思が強く働いたことも事実である。
岸は一見すると日本古来の伝統や文化を重んじ、戦前から連続した思想を持っているかのように思われている。がしかし、実は戦前はファシズムに傾倒して「鬼畜米英」と声高に国民を戦争へと誘導して、戦後は一転して民主主義を標榜してアメリカへの従属を強いた、きわめて無節操な変節漢なのだ。

この祖父をこよなく敬愛する安倍晋三の行動も愛国の仮面をかぶった権力の亡者、祖父の行動と根を同じくする。
祖父受け売りの「美しい国日本」や「自主的憲法への改正」を標榜しつつ、実はアメリカの戦費肩代わり要求に応えて、憲法改正の手続きを踏まずに支離滅裂な憲法解釈変更を強行しようとしているのだ。
愛国の仮面を被った売国専制主義者の系譜をこれ以上のさばらせてはいけない、と私は思う。

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