投稿日:2015年7月6日|カテゴリ:コラム

診断書の扱いは法的には有印私文書となる。だが、私文書とはいえ、その公共性は高く、単なるメモ書きとはわけが違う。医療の専門家による判断だから、ないがしろにすることは許されない。
たとえば1ヶ月の休養を必要とした診断書を受け取った雇用者が、診断書の指示に従わずに働かせ続けた結果患者が死亡した場合には、労働法及び民法によって重大な罰に処せられる。
一方、それだけ社会的な拘束力を持った文書なのだから、医師の側にもその内容に対して重い責任が課せられている。刑法第160条には、「医師が公務所に提出すべき診断書、検案書又は死亡証書に虚偽の記載をしたときは、3年以下の禁固又は30万円以下の罰金に処する。」とある。虚偽診断書等作成罪である。
たとえ裁判所などの公務所以外に提出する診断書であっても、我々医師は医療の専門家として医学的根拠に基づいて公正に書かなければならない。そしてその診断書には社会的に重い責任が課せられていることは言うまでもない。

私は幾つかの会社の産業医をしている。近年、精神障害によって長期休職した職員の復職に際しては、主治医の「就労可」の診断書のほかに、産業医の面接による可否判断を必要とされるようになっている。
精神障害は身体疾患に比べて症状がその人を取り巻く環境に左右されやすい。したがって、就労可否の判断には業務内容や職場の人間関係などを考慮しなければならない。また復職後の再発防止の観点からもそういう要因の調整が必要になる場合が多い。したがって、患者さんの病状だけを診る主治医の見解だけでは十分とは言えず、職場の内情を知る産業医の判断も合わせる必要があるからだ。
産業医としての面接は主治医の復職可能との診断書を基礎に行われる。ところが最近、厳正な医学的判断に基づかずに書かれたとしか思えない主治医の診断書を目にすることが少なくない。
朝も起きられず、外出することもままならず、面接場面でも舌を向いたまま消え入るような声で「はい」、「いいえ」しか答えられないような病状の方が持参する「復職可能」と書かれた診断書。「通常勤務可能」と書いてあるのに、その後の但し書きに「具合の悪い日は欠勤や早退することもある」と書いてある診断書。いったい、何をもって通常勤務と言っているのだろう。
こういう診断書を持って来られる方に対して、産業医として現在の状態では復職を認める訳にはいかないと告げると、返ってくる言葉は大抵「それじゃ困るんです」だ。
主として経済的理由から一刻も早く復職したいと言う。だから就労可能と判断してもらわなければ都合が悪いという主張だ。
主治医があのとんでもない診断書を書く場面が想像できた。あの無責任な有印私文書は患者さんに「復職できるという診断書を書いてください」と頼み込まれた結果だったのだ。
早期復職を希望する患者さんの心情はよく理解できる。しかし、それに唯々諾々と応じる主治医の姿勢はいかがなものか。診断書とは頼まれた通りに書くものではない。患者さんの希望を踏まえたうえで、しかしあくまで医学的見地から、きちんと働くことができるかどうか判定するものでなければならない。頼まれた通りに書くだけなら単なる代筆業だ。
こういった診断書を書く医師は患者さんの利益をはき違えているのだと思う。患者さんの望むことが必ずしも患者さんのためにならないということを理解していない。病状が安定しない状態で無理をして復職したとしても、早晩病状が悪化する可能性が高い。そうして再び休職することになると、本人は一層自信をなくすし、周囲の信用を大きく損なうことになる。周囲からの評価は休職の期間よりは回数に対しての方が厳しい。特に復職して間もなく再休職した場合、その次の復職に対するハードルはかなり高くなってしまう。
本当に長い目で患者さんの利益を考えたならば、患者さんのはやる気持ちを抑えて、十分に療養して、万全の態勢で復職するように指導するのが本来の主治医のあるべき姿ではないだろうか。
それ以前に、医学的根拠に基づかず、ただ患者さんの要求に応えるだけの診断書を書くということは、自ら医師の職責を放棄し、医師の役割を貶める行為だ。
診断書はそれを書く医師の見識の軽重を問う格好の鼎であることを自覚すべきであろう。

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