日本人が初めて西洋人と出会ったときはさぞやびっくりしただろう。皮膚の色が白くて下を走る血管が透けて見えるためにうっすらと赤みを帯びて見え、瞳の色は青や緑に着色されている。鬼は大昔にであった西洋人をモデルにしたのではなかろうか。
一方、西洋人が黒人や黄色人種の人間に初めて出会った時も、同じように異分子として感じたに違いない。
人種差別がいけないことであるのは言うまでもないが、自分と違う外見の生き物に対して違和感、恐怖心を覚えるのは本能であって致し方ないことなのである。 異人種に対しては全く同じ人種と同じように感じることはできない。その感覚は相対的であって、自分が違和感を持ったならば相手も同じように感じているの だ。だが、お互いにその違和感を以て差別してはいけないということだ。
同じ人に対してさえ肌の色、顔かたちで親近感に差ができるのだから、種を超えたら親近感は大幅に薄れる。
チンパンジーやゴリラなどは姿かたちがかなり似ているし、2足歩行ができて、指先を器用に操れるので、「我々の親類だな」という実感が持てる。その他の霊長類も遠縁だと理解できるだろう。
犬、猫は小さいころから身近に接しているために親近感は湧くが、あくまで別の生き物としての枠の中の話のように思う。哺乳類でも鼠くらいまでいくと、いくら我々の祖先が同じような形をした生き物であったと説明されても、素直にご先祖様とは敬えない。
哺乳類以外の生き物はもう完全に別の世界の住人。蛸や烏賊などの軟体動物に至ってはもう奇妙の域に入ってくる。
ミミズ、回虫、サナダ虫のなどの線虫類は奇怪で嫌悪感すら抱くのではないだろうか。だが、私たちの遠い祖先は線虫だったと考えられているし、現在地球上に生息する生き物の重量の15%を占める。地球上の生き物の最大多数派なのだ。
先々週のコラム「騒がしくなった足元」で地球は46億6700万年前に小さな塵がぶつかり合って作られ始め、今現在の形に変貌してきたことを説明した。そして、この地球の上で生きる生物もまたおよそ35億年前に発生して、その後長い進化や興亡の歴史を繰り返し現在に至っている。
35億年前の海底に硫化水素やメタンなどを豊富に含んだ熱水を噴出する場所があった。熱水噴出孔という。この周囲で熱水に含まれる単純な有機物からDNAやたんぱく質などがつくられてアミノ酸の塊のような最初の生命が誕生したと考えられる。
27億年前になると原核生物というやっとこ生き物らしき生物が現れる。当時、地球上にはまだ酸素が存在しなかったために、最初に生まれ多細胞生物は、二酸化炭素と水を太陽の光によって光合成して自分の体と酸素を発生するシアノバクテリアであったと思われる。
その後、このシアノバクテリアが産生した酸素によって地球の環境が大改造されて酸素をエネルギー源とする生物たちが生まれることになる。
そして現在に至るまでにじつに多様な生物が生まれて、変化し、大半の生物は滅亡してきた。中でも約5億4200万年前から4億8830万年前の間のカンブリア紀と呼ばれる時代は「カンブリア爆発」と呼ばれるほど動物が突然に大きな飛躍を遂げて多様性を獲得した。
それまでの動物は三葉虫などを除けばみな感覚器官をもたない極めて原始的な生物で大半は微生物であった。
ところが温暖で酸素が豊富なカンブリア紀に入って、動物のDNAはいっきに進化の爆発を起こす。眼という極めて有力な感覚器官と体を覆う硬い殻を身に着けるようになる。化石から想像されるカンブリア紀の生物たちは、神の試行錯誤の場ではなかったかと思わせるほど実に多様多彩な形をしている。
このカンブリア紀の大発展で現在の生物が属するグループ(門)のすべてが誕生したとされている。生物発展史におけるルネッサンス期と言える。
さらに、この時期の生き物たちは皆モンスターにしか見えない奇怪な姿をしている。
だが、私たちの目から見ればモンスターかもしれないが、写真中央のアノマロカリスという巨大節足動物はおよそ2000万年の期間、地球上最大最強の生物と して食物連鎖の頂点に君臨していた。誕生からまだ40~25万年しか経っていない我々人類が彼らを化け物呼ばわりする資格などないのだ。
人間は自分たちのことを万物の霊長などと自画自賛している。キリスト教に至ってはこの世のすべての物は人間のために作られたなどという幼稚で自己中心的な 考えをしている。アメリカでは進化論を否定した博物館が好評で増えているという。そこでは恐竜と人間とが共存している世界が展示されているという。アノマ ロカリスと人間はどのような関係を持って生きていたというのだろう。
現在では狂信的なキリスト教徒以外の人に進化論を全否定する方はほとんどいないとは思うが、それでも人間中心的な考えであることには変わりはない。すなわち、35億年間の生物の進化の過程は、今の私たち人類という完成型を生むための過程であったと信じているのだ。
私たち人類という種は未来永劫地球上で君臨して、宇宙への進出などのさらなる飛躍発展はあるものの、人類を超える存在など現れるはずがないと楽観的に了解しているようだ。
それに、自分を中心に考えるから四足歩行を二足歩行できないものの歩き方と考えたり、ゴキブリやナマコを気持ち悪い原始的生物と切り捨てる。だが地球上の生物を虚心坦懐に俯瞰した場合、さらに歴史的変遷を踏まえてみると、人間こそ実に奇妙な生き物ではないだろうか。
地球の面積の3割に満たない陸地、しかもその表面にへばりついてしか生きられない生き物。体幹から突き出た4本の突起物で運動するが、多くの哺乳類と異 なって移動にはそのうちの2本しか用いない。頭の重量が大きいために極めて不安定と言える。残る2本を器用に用いて様々な作業をするが、近ごろは、ほとん ど重量物は持たず先端部の指先だけを動かしている。頭部の先端と陰部には痕跡的に残っているものの、その他の哺乳類の大半が持っている体毛を失っている。 ヌードマウスならぬヌードモンキーだ。
同じ猿の仲間と比べて特異的に大脳皮質が発達している。このために文明と称するものを作り上げた。だが実は、自分が生存するために必要な量以上の資源を確 保、消費したいという強迫観念にとりつかれている。彼らはその脅迫行為を「経済成長」と呼んでいるが、実は自分自身を滅亡へと追いやる行為であることに気 付かない。ついには自分自身をさらには地球全体を破壊してしまう核分裂反応まで考え出してしまった。人間こそ相当に奇妙なモンスターなのだ。
しかしながら、いくら自己中心的楽観論を信奉しても、地球そのものも、またその上に存在する生物もこの形が最終形ではなく、これから先も変貌し続ける。残念ながら現在の地球とそこに住む私たち生物も長い変貌の旅の一過程に過ぎないのだ。
遠い将来、その時代の生物が私たち人類の存在痕跡を見つけた時、「昔の地球にはずいぶん奇妙な生き物がいたんだな」と言うに違いない。我々は現在のアノマロカリスなのだということを自覚して、もう少し謙虚な生き方を目指してもよいのではなかろうか。