29日の昭和の日、富士山麓をドライブした。新緑の合間に山桜や八重桜やハナミズキの彩が生えて、とても爽快だった。何よりもそれだけで温かさを感じる初夏の日差しが心を湧き立たせてくれた。そして5時半を回ってもまだその日差しが絶えない。冬だともう真っ暗な時時間帯だ。
日の出も早いので、朝、郵便受けの朝刊をとりに行くことさえ冬と違ってなぜか心が弾む。太陽のぬくもりがこれほど私たちの心に影響を与えるものかと改めて感心した。
この時期、気分が良くなるのは私だけではない。街の野良猫たちもほどよく暖かい太陽の光の到来を待ちわびていたかのように走り回っている。日本列島に生を受けたものの大半がこの季節を大いに楽しんでいるのだろう。
地球に存在するエネルギーのルーツを遡れば、その99%が太陽エネルギーに行き着く。太陽こそが私たちのエネルギー源なのだから、太陽の光に心が湧きたつのは当たり前かもしれない。
だがここでふと考えた。春から初夏にかけての暖かい日差しに心をうきうきさせられているのは、私の心が健康だからなのではないか、と。なぜならば、世の中ではこの時期は精神的不調が増えるとされているからだ。
昔から3月から4月を「木の芽時」と言って、心身の状態が不安定になりやすい時期とされている。原因としては急激な寒暖差に体の恒常性維持機能がついていけないことや、進学、異動、転居などの大きなイベントが多いことが考えられる。
5月はその名のとおり「五月病」が有名だ。
「五月病」が単一の疾患でないことは言うまでもない。「更年期障害」と同じように、この時期に心身にわたって様々な不調を呈する人が多くなる。そういったこの時期に起こる心の不調の総称である。
先ほど述べたように、健康な人はこの時期心が弾んで何かしたくてじっとしていられなくなるのだが、逆にやる気が出なくなり、気分がふさぎ込んでしまう人が少なくない。そういう人たちがゴールデンウィークを過ぎた頃から増えるために、その病態を指して「五月病」と呼ぶようになったと言われている。
しかし私は東大の新入生たちの中に東大の五月祭の頃に無気力になる、スチューデント・アパシー(student apathy)が多発したことから「五月病」と呼ぶようになったとも記憶している。
スチューデント・アパシーは歪んだ受験競争社会のために、大学に入ることにすべてをかけて思春期を過ごした結果、いざ念願の大学に合格してしまったら、その後の人生の目標を失って無気力状態に陥ってしまう学生の一群を指す。特に受験競争の最高峰である東大の新入生に多く見られた。
最近は大学側の保健指導などでスチューデント・アパシーは以前ほど問題にされなくなったが、新入社員を主とした社会人に多く見られるようになっている。
原因としては大人としてのモラトリアムが許されていた学生から、急に厳しく自己責任を要求される社会人として振る舞わなくてはならなくなることについていけないこと。新生活のために親元を離れて自立生活を余儀なくされたり、転居しなければならないこと。配属先や転職先の上司や同僚との新しい人間関係を結ばなければならないこと。新しく配属された職場環境が自分が描いていた理想と大きくかけ離れていたことなど。さらにはスチューデント・アパシーと同様に、出発点である就職をゴールと取り違えていたために入社後に燃え尽きてしまって無気力になってしまうことなどの環境要因があげられる。
だが、私は日照時間の延長によってホルモン系や代謝系などが冬型から夏型へと転換する際のアンバランスも関係しているのではないかと考えている。その根拠の一つとして、五月病ではメラトニンを介して光の影響を強く受けるとされる睡眠状態の異常が高率に見られること。そして睡眠・覚醒のリズムを調整することで五月病の症状が改善することが多いことを挙げることができる。
五月病の多くは一過性で、適度な休息だけで改善されることが大半だが、中にはそのまま適応障害、うつ病へと発展してしまうケースもあるから、仕事に支障が出るほどの症状がみられる場合には、早めに医療機関を受診することをお勧めする。