私は歌を歌うのが好きだ。初めて覚えた歌謡曲は父が買ってきたドーナツ盤の三橋美智也が歌う「哀愁列車」。
惚れて 惚れて 惚れていながら行く俺に
旅を急かせる ベルの音 ・・・・・・・・・・
小学校1年生の時のことだから、「惚れて」や「急かせる」の意味も分からず、ただメロディラインが好きで歌っていた。
その後、好んで聴いたエルビス・プレスリー、ポール・アンカ、ニール・セダカに至っては英語の歌なので、詞の意味など理解する由もなく、ただただメロディを中心に覚えた。
詞の意味を意識するようになったのは橋幸夫の「江梨子」、坂本九の「上を向いて歩こう」、加山雄三の「君といつまでも」くらいからだろうか。
思春期真っ只中はメッセージ性の強いフォークソングの最盛期。当然ながら、歌は歌詞を伝えるための補強手段と考えるようになった時期もあった。
老人の仲間入りをした現在は、詞が自分のこれまでの様々な体験とオーバーラップして、若い時よりも詞に対する思い入れが強くなったが、どんなに素敵な歌詞であってもやはりメロディがきれいでないと好きになれない。
三橋美智也以前の持ち歌といえば童謡やわらべ歌ということになる。「りんごのひとりごと」、「汽車」、「汽車ポッポ」、「みかんの花咲く丘」など、子供で もその情景が目に浮かぶ分かりやすい歌詞のものもあったが、さらに古い歌となると歌詞が古文体であったり、どこかわからない方言であったりして、なんとか 覚えられてもその意味を理解できないものが少なくなかった。
たとえば、「ずいずいずっころばし」。
ずいずいずっころばし ごまみそずい 茶壺に追われてとっぴんしゃん
抜けたらどんどこしょ
俵の鼠が米食ってちゅう おっとさんが呼んでも おっかさんが呼んでも
行きっこなーしよ 井戸の回りでお茶碗欠いたのだーれ
出だしの「すいすいずっころばし」から皆目何を言っているのか分からない。だが、「とっぴんしゃん」や「どんどこしょ」といった語感が面白くて、声を揃えて歌ったものだ。
最近になって調べてみたら以下のようなもっともらしい説が書いてあった。
「ある農家で、ずいきの胡麻味噌和えを作っていたところ、表を将軍様に献上する『茶壺道中』が通りました。驚いた家の人たちが急いで戸をぴしゃっと閉めて 奥へ隠れます。ところがその時、静まりかえった家の納屋で鼠が米を盗み食いする音。井戸端で慌てた拍子にお茶碗を欠く音。息を殺している中でのいろいろな 音。やがて茶壺道中は去っていく。」
江戸時代は大名そのものの行列ではなく、将軍に献上する茶壺を運ぶ行列でさえ、とても権威的であって、その行列の前を横切ったり、失礼があるとその場で切 り捨てられた。そのため、けっしてそそうがないように子供たちに注意するとともに、その馬鹿げた様子を揶揄するために作られた歌ということらしい。やっと 謎が解けた。
かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?
鬼が目を隠して中央に座り、その周りをほかの子供たちが輪になって歌いながら回り、歌い終わって止まった時に鬼が真後ろの人を当てる、「かごめ かごめ」の歌詞に各種都市伝説があるのは有名だ。
イスラエル国旗に描かれているダビデの紋とカゴメ印が似ていることから、イスラエルルーツ説。徳川埋蔵金のありかを示した歌説。自由のない遊女が身の不幸 を恨んだ歌説。階段を突き落されて流産してしまった妊婦の恨み歌説。交霊術の儀式歌説。等々、謎めいた言葉の連なる歌だけに諸説紛々。
はないちもんめ
勝ってうれしいはないちもんめ 負けてくやしいはないちもんめ
隣のおばさんちょっときておくれ 鬼が怖くていかれない
お布団被ってちょっときておくれ お布団ぼろぼろいかれない
お釜かぶってちょっときておくれ お釜底抜けいかれない
あの子が欲しい あの子じゃわからん この子が欲しい この子じゃわからん
相談しよう そうしよう
花とは女の子のことで、貧しい家庭の女の子が口減らしのために女衒(ぜげん)に売られていく様子を歌った歌だという。「勝ってうれしい」ではなく「買ってうれしい」で「負けてくやしい」ではなく「(値段を)まけてくやしい」とするとかなり悲しく、おそろしい歌だ。
たしかに、この歌は二手に分かれた女子たちが相対して横一列に並んで、お互いに相手側の子供を取り合う遊びの際に歌われる。
女の子たちと遊ぶことが多かった私は、この遊びでは数少ない男の子。そのためか「あの子が欲しい」と取り合いの対象になることが多かったので、人気があると勘違いして、深く考えもせず楽しく歌っていた。
私の特に好きだった歌の一つは
鳩と トンビと 雉と 燕と 雁がねと 鶯 鳴くときゃ
くーくぴん くーくぴん くーくぴんひょろけんけん
くーくぴんひょーろ けんけんじゃっくるつんころりの ほーほけきょ
題名を知らずにずっと口ずさんでいた。改めて調べて、「鳥の歌」と至極まっとうな題名であることが分かり、内容とのずれによけい好きになった。
この歌詞には何のメッセージもない。ただ単に6種類の鳥の特徴的な鳴き声を並べただけ。それなのに、どどいつ風のメロディに乗せて小気味よいテンポで続く擬音語の連続がなんとも心地よい。
こう考えてみると、音楽とは詞が良い、メロディイーが良い、リズムが良いと講釈を垂れること自体無意味なのかもしれない。要するに好きと感じればそれでよいのだろう。