東日本大震災から早4年が経とうとしている。そして2015年5月5日に泊原発3号機が停止して以来、私たちはもう3年近く原子力発電なしで生活している。
一方、メルトダウンした福島第1原発の廃炉・解体処理はどうなっているのだろう。近頃はほとんど報道されなくなってしまったが、それは順調に進行しているからではない。それどころか、廃炉工事の大前提である汚染水の処分さえ未だにおぼつかない状況だ。決定打もないままに日々大量に発生する汚染水をひたすらタンクに貯めることしかできていない。
事故で発生した土などの汚染物質の中間貯蔵施設も設置場所さえ確定しない。ましてや最終処分に関しては全くめどが立っていない。それにもかかわらず、政府は原発の再稼働に躍起になっている。
当初、政府と各電力会社は原子力発電が再開できなければ電力需要の多い真夏や真冬に大停電が起きて、我が国の機能が麻痺してしまうと恐怖を煽った。
だが、火力発電所など従来型の発電施設の活用で電力破綻はしないことが明らかになると、今度は発電のための原油輸入によって貿易収支が大幅に輸入超過になり日本経済が衰退するし、そのつけは電気料金の大幅値上げとなって国民の生活を逼迫すると恫喝した。
だが貿易収支の赤字化は政府の円安政策によるところが大きいし、大幅な値上げは東京電力を破産させなかった国策のつけを国民に回したものだ。
ところがここへきて原油価格が暴落した。経済負担の理屈も通用しなくなったのだが、それでもなお原発再稼働の圧力は日増しに強くなっているように思える。
ど素人の私より何倍も原子力発電の危険性を知っているはずの連中が、現在のシステムで電力不足が起きないことが分かったうえで、なぜ再稼働を強行しようとするのだろうか。不思議でならなかった。
イギリスのトロースフィニッド発電所は1993年から廃炉作業に入っている。20年以上経った現在、99%の放射性物質の除去を終えている。しかし、施設を完全に解体し終えるまでにはまだあと70年の歳月を必要とする。
そしてこの作業にかかる費用は少なくとも900億円とされている。だがこの数字は今後70年間何事もなく無事進んだとしてのものである。したがって、この先何が起こるかわからない。何か起こればさらに費用は膨らむ。つまり900億円を超えることはあっても下がることはないという数字なのだ。
我が国で現在廃炉作業が行われているのは日本原子力発電東海原発の1基と中部電力浜岡原発の2基の計3基だ。そしてその工程試算を見ると東海原発は2020年度までに完了して、費用は850億円、浜岡原発は2基で841億円かけて2036年度に廃炉完了とされている。
トロースフィニッド原子炉よりも大型の浜岡原発が本当にたった20年でしかも850億円ほどの費用で廃炉を完了できるのだろうか。この試算そのものが信用しがたい。現に福島ではこれまでに1兆円を投じているにもかかわらず先ほど述べた通り、まだ準備状態さえも整備されていない状態だ。しかも、高レベル放射性廃棄物質の恒久的処理に関してはその方法さえ未定なのだから、当然その費用は計上されていない。
現在日本にある原発、54基を廃炉するとなると、いったいどれだけの費用がかかるのか想像することすら難しい。それ以前に、最終処理法が確立していないのだから完全な廃炉処分など現実的に不可能なのだ。
ここでようやく納得した。政府、電力関係者は原子力発電を積極的に続けたいのではない。止めることができないのだ。
「原発をやめます」と言った途端に、廃炉作業に取り掛からなければならなくなる。しかしそれは先ほど述べたように、天文学的な費用の支出と、これまで逃げ回ってきた最終処分問題と向き合わなければならないことを意味する。つまり現実的には不可能なのだ。
同時に、これまで言ってきた「原子力発電はエネルギー資源を持たない我が国にとってクリーンで廉価な発電手段」という謳い文句が、真っ赤な嘘であったことを白日の下に晒すことになる。
運用費用は安いかもしれないが、やがて訪れる廃炉費用まで勘案すると原発は実はほかのどんな発電方法よりも高価なのだ。さらに、やがて訪れる廃炉、最終処分を考えると、狭い島国、しかも複数のプレートが折り重なる不安定な地殻の上に成り立つ我が国にとって、原子力発電はもっとも不適切な発電手段だと思う。
一方、原発を稼働し続ければ、使用済み核燃料は徐々に増えていくかもしれないが、少なくとも巨大な支出を少しでも後世へつけ回しできる。それにもまして、原発を中止しなければ、歴代の内閣や電力関係者が長年にわたって国民を欺いてきた嘘と詭弁をしばらく覆い隠せる。このことが原発を何が何でも止められない本当の理由なのではないだろうか。後は自分が生きている間に再び巨大地震が来ないことをお祈りするつもりなのだろう。己の保身のために国の未来を悪魔に売り渡す。売国奴とはこういう連中のことを言うのだろう。
最終処分法が確立しないうちにいつの間にかこれほど多くの原発を作ってしまった我が国。この原子力行政は「トイレのないマンション」に例えられるが、この巨大マンションは取り壊すことが不可能なのだ。そして再稼働を果たした暁には、これからも時々刻々と増え続ける汚物を私たちの生活空間に溜め込んでいく。