あけましておめでとうございます。
昨年はクリニックの移転がありました。移転のお知らせが万全でなかったために、久しぶりに来院された方の中には、旧医院の方へ回られ、大変ご足労をおかけした方もいらっしゃいました。申し訳ございませんでした。
皆様のお陰様をもちまして、新医院で恙なく新年を迎えることができました。心より御礼申し上げます。
さて、前々回のコラムで師走に流れる歌のことについて書いたが、大晦日を迎えると、ベートーベンの「交響曲第9番(歓喜の歌)」が各地で演奏される。そして、年越し直前にはNHKホールでスコットランド民謡「蛍の光」を大合唱して除夜の鐘を待つ。これが我が国の年越しの定番として定着したようだ。
以前は年が明けると、一年でこの3日間にしか耳にしないお琴の音が流れて、一気に和服モードに突入だったのだが、このところは正月になっても邦楽はあまり耳にしなくなった。
私が子供の頃元旦に歌わされたのは「一月一日」だった。「一月一日」ではぴんとこないかもしれないが、「年の始めのためしとて・・・・・」と言えば多くの方が歌えるのではないだろうか。
年の始めの ためし とて
おわり なき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う きょう こそ 楽しけれ
だがこの歌詞、「ためしとて」、「おわりなきよ」など、馴染みのない文語体で、子供には言わんとする意味がちっとも理解できない。しかもメロディーもさほど昂揚感を伝えない。そして、とどめに「楽しけれ」と言われても、楽しくもなんともなかった。
それよりも、父が教えてくれた替え歌の方がすぐに覚えられた。
年の始めの ためし とて
おわり 名古屋の 大地震
松竹ひっくりかえして おおさわぎ
芋食うて屁をすりゃ 臭かけれ
いつもは忙しくてなかなか遊んでもらえない父とこの歌を歌って大笑いする時こそ、ああお正月だなあと、楽しい気分になったものだ。
ところで、「一月一日」の作詞者は最近、高円宮典子さまを嫁として迎えられた千家国麿様の高祖父(曽祖父の父)である、千家尊福氏であることをつい最近知った。
つまり、唱歌「一月一日」は天皇家の始祖である天照大神に国を譲った、大国主命を祀る神職の子孫である千家尊福氏が、現人神とされていた天皇家と天皇が治める我が国の弥栄を謳った歌詞なのだ。
僅かでも天皇を揶揄したならば不敬罪で処罰された時代を生きてきた父が、息子に「一月一日」の替え歌を教えて笑っていた心境とは。ただ単純に冗談が好きだったのか?はたまた、現人神とされてきた戦前の教育体制に対する非難の気持ちがあったのか?本当のところは分からない。だが、我が家では祝日には必ず玄関前に日の丸を掲揚していたからおそらく、前者だったのだと思う。
それはともかく、こんな不埒な歌と笑い声でお正月を迎える環境が、いい加減な現在の私を創ったのだろう。