サディズム(Sadism)【加虐性愛】は相手(動物も含む)を身体的に虐待したり精神的に苦痛を与えたりすることによって性的快感を得たり、そのような行為を想像して性的興奮を得る性的嗜好の一つ。
嗜虐性の強い小説を書いたり、私生活でも実践していたと言われるフランスのマルキ・ド・サド侯爵の名前に由来している。
一方、肉体的に苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を受けることに性的快感を味わったり、そのような行為を想像することで性的興奮を得る性的嗜好をマゾヒズム(Masochism)【被虐性愛】と言う。
由来は「毛皮を着たヴィーナス」などの自伝的作品の中で、身体および精神的苦痛を性的快楽として捉える嗜好を発表したオーストリアの作家、ザッヘル・マゾッホの名前である。
この二つを合わせてサドマゾとかSMとか呼ぶ。最近、経済産業大臣の秘書が政治活動費でSMクラブの支払いをしていたことが話題になったが、巷にはサドマゾ性愛者をを対象としたSMクラブや雑誌、同好会がけっこう存在する。
一般の方のイメージとしてはエナメルのボディコンシャススタイルの女性が鞭を手にして、ハイヒールの踵で禿親父のビヤ樽腹を踏みつけながら、「女王様とお呼び!」と命令する姿だろう。
これは男性のマゾヒストを対象にした店。これとは逆に男性客が女性を縛り上げて鞭で叩いたり、蝋涙を垂らしたりするプレイをさせ場所もある。
一方、女性客を対象としたSMクラブは少ないようだ。SM嗜好のある女性は私生活で楽しんでいるか、代金をとって生業としている可能性が高い。
ここで注意しておきたいことがある。他人の嫌がる言動で相手を苛めて爽快感を得るのは加虐性向ではあるが厳密な意味でのサディズムではない。サディズムとはあくまで性的興奮と結びついた行為でなければならない。
同様に、虐待を受けることによって性的興奮、快楽を覚える時に初めてマゾヒズムと言える。単に、相手からいじられてへらへらと甘受しているだけではマゾヒズムとは言えない。
サディズムというと猟奇殺人といった反社会的行為と結びつけて考えられがちであるが、サディストのすべてが反社会的人間であるわけではない。サイディズムは性的嗜好の一環であるのだから、その対象は誰でも彼でもよいというわけではない。
自分が愛する人を苛めることによってより強い性的興奮が得られる。好きで愛しているからこそ、その人を虐待したいのだ。だからサディストが無差別に残虐な殺傷を犯す場合にはサディズムとは別の反社会的人格障害が存在すると考えられる。
サディストの交際相手がマゾヒストであればお互いの性的嗜好が満たされるのだからベストカップルと言える。しかし、性的嗜好は洋服の好みのように一見してわかることではない。数回のデートの会話の中で告白するとも考えにくい。実際に性的交渉をもってみなければ知り得ないのではないだろうか。しかも、男性の場合には比較的短期間に自分の性的嗜好を暴露するだろうが、女性の場合には本当の嗜好は奥の奥に秘めて、相当深い付き合いにならなければ自分の性的嗜好を明らかにすることはない。
だから、広い世の中でサディストとマゾヒストのベストカップルが出会う確率は極めて低いだろう。
多くのサディストやマゾヒストは性行為中に自分の嗜好に合わせた夢想をすることで妥協するしかない。幸い、ある程度の理解を持ったパートナーに恵まれたとしても、お互いに自分の欲求をある程度抑制し、相手が許容できる範囲を超えないことで尊関係を維持していると思われる。つまり、サドマゾヒズムは性的関係以外のお互いの強い信頼感と愛情がなければ成り立たない。
サディズムは単に縛り上げる作業や、鞭で打つ重労働に興奮するわけではない。相手が苦痛を味わっていることを感じ取ることによって性的興奮を得る。したがって、相手に対する共感性が要求される。さらには、ここまでは相手が受け入れるが、これ以上は単なる苦痛になってしまうという限度を見極める能力も必要とされる。
一方、マゾヒズムも自分が耐える姿を見て相手が興奮していることを感じてさらに自分も興奮する。また、同じ苦痛でも愛情の延長の加虐と単なる暴力との違いを感じ取る能力が長けていなければならない。
言い換えれば、サディストはマゾヒストの気持ちを理解でき、マゾヒストはサディストの興奮を想像できる。つまりサディズムとマゾヒズムは表裏一体、同一の心性の異なった側面を現していると考えられる。だから、サディズムとマゾヒズムを一緒にしてサドマゾヒズムとして扱うのだ。
実際に、マルキ・ド・サドにはマゾヒズム的行動が見られ、ザッヘル・マッゾホは妻に対してはサディストとして振る舞ったと言われている。
これまでも繰り返し述べてきたが、性的嗜好は人それぞれで他人がとやかく言うことではない。自分が苦しむか他人に迷惑をかけない限りそっと放っておくのが良い。
しかし、サドマゾヒズムはフェティシズムなどとは違って、その欲求が強くなりすぎて行動制御能力を超えてしまう場合には、傷害、自傷、殺人と言った深刻な犯罪に発展する危険性がある。
その場合治療が必要となる。治療としては、嗜好自体を変えるのはなか難しいので、行動制御能力の強化が主体となるだろう。