児童に対する性的な犯罪をよく耳にする。また、児童ポルノも法律で禁止しなければならないほど蔓延しているらしい。
平成11年に施行されて今年6月に改正された「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰および児童の保護等に関する法律」では児童の定義を18歳未満としている。しかし、医師の目から見ると、近年の若者は早熟なので18歳という年齢は高すぎるように思える。
私たちが考える児童とは第2次性徴が発現する以前の子どもたちを指す。女性の場合にはまだ排卵しないので、いくら性行為をしたとしても生殖を完遂することができない。
生物に共通した究極の目的は自己の遺伝情報を次世代に残すことだ。しかもこの作業は困難を要すことが多い。したがって、なるべく効率よく次世代を残すために無駄な性行為はしない。だから本能的に生殖可能な異性にしか欲情しない。
人間の場合、この脳の仕組みが狂って、生殖不可能な児童に対して欲情する者が現れた。そういう精神障害を「小児性愛(Paedophilia)」という。
子どもを見て可愛いと思うのは動物に共通する本能的な感情だと思う。また、可愛いと感じるものに手を触れたい、抱きしめたいという感情くらいまでは理解できる。だが、それが性的な欲情に結び付くとなると普通の反応とは言えない。中には、自分自身の子どもや孫に対して欲情をする人もいるという。ここまで来るともうどうしても了解できない。
性的欲求の対象とされた子どもはたまったものではないが、子どもに対して欲情してしまう当のご本人も可愛そうと言えなくもない。なぜならば、性的な興奮は理屈でするものではないからだ。知的には普通ではない、いけないことと理解しているのに、脳が、そして脳からの指令で下半身が勝手に反応してしまう。知的機能と欲動および感情との間の葛藤は熾烈なものだろう。
人間の性的行動はその対象や目的において各人の独特の方向性や様式が存在する。つまり各人各様独特の好みやこだわりがある。これを性的嗜好性と呼ぶ。この嗜好性は乳房の大きな女性を好む人、スレンダーな腰に惹かれる人、騎乗位が一番感じる人など千差万別、実にバラエティに富んでいる。
だが、この性的嗜好性の実態は正確に把握できていない。なぜならば、この点に関しては羞恥心から皆なかなか本音を語ってくれないからだ。特に女性の性的嗜好性の実態把握は難しいと言える。
そもそも、何に対して感じるかという好みは個人の勝手だ。他人と比較されて貴方の好みは正しいとか貴方の好みは間違っているとか言われる筋合いのものではない。だが、精神医学には性嗜好障害という病名が存在する。ICD10ではF6の成人のパーソナリティおよび行動の障害という大項目の中のF65に性嗜好障害という項目がある。因みに先述した小児性愛症はF65.4だ。
なぜ個人の勝手のはずの嗜好の問題が病気として扱われるのだろうか。それは性行為は必ず相手を必要とするために、洋服の好みのように一個人の問題では終わらない。そして精神医療は症状がその人自身を苦しめる場合のほか、周辺の人々、ひいては社会を苦しめる場合にも障害として治療対象となる。だから、性的嗜好があまりにも大きく偏っている場合には精神障害として治療対象になるのだ。
だが今のところ脳がどのようになると成熟していない個体に性的関心を抱くのかについては分かっていない。したがって薬を飲めば性的嗜好が変わるということは期待できない。だが、嗜好そのものは変えられなくても、社会規範から外れた行為に発展しないように行動制御力(意思)を強化することで現実的な解決が得られる。
最後に強調しておきたいことがある。それは小児性愛者=小児性犯罪者(child molester)ではないということだ。
小児性愛の嗜好を持っていても行動化せずに社会に適応している人が多い。逆に、小児性愛者でない者が小児性犯罪を犯すことが少なくない。小児性犯罪者の中で小児性愛者は3割に過ぎないという報告もある。
他人に迷惑をかけない限り、嗜好の問題はそっとしてあげておいた方がよいように思う。