投稿日:2014年9月15日|カテゴリ:コラム

江戸幕府5代将軍、徳川綱吉は貞享四年に殺生を禁止する法令を制定した。綱吉は丙戌年生まれであったために、ことさら犬を厚く保護し、法の適用があまりにも杓子定規で厳しすぎたために天下の悪法として名を残し、綱吉は「犬公方」と揶揄された。
だが、生類憐みの令とは、単に犬を保護する目的の単一の法律ではなく、人間の幼児や老人までもを対象として発布された数多くの法令の総称なのだ。
当時はまだ戦国時代の殺伐とした世情が色濃く残っていた。そのために口減らしのために嬰児、病人、障害者、老人に対する殺人や遺棄が横行していた。綱吉は徳川幕府体制による平和が盤石になったことを内外に誇示するために、世界にも類を見ない福祉政策を高らかに謳ったのではないだろうか。

先日、盲導犬がフォークで刺される事件が報道された。飼い主が盲目であることと、盲導犬が絶対服従でけっして吠えないように訓練されていることに付け込んだ、実に陰湿で卑劣な犯行だ。また最近、毒物によるネコの大量虐殺事件も報道された。佐世保のバラバラ殺人の犯人の少女も、以前からネコ殺しを繰り返していたらしい。家宅捜査の際にも冷蔵庫の中にもネコの死体が入っていたと聞く。
佐世保の少女に限らず、猟奇的な殺人を犯した者には、その犯行の前に動物を虐殺していた者が少なくないので、盲導犬を刺した犯人や公園のネコを殺害した犯人の犯行対象がエスカレートして人に対する殺傷に発展することが危惧される。
現行の法律では、イヌやネコをどんなに残虐に殺したとしても、刑法261条、器物損壊罪ないしは動物の愛護及び管理に関する法律(所謂、動物愛護法)によって処罰されるしかない。器物損壊罪では3年以下の懲役又は30万円以下の罰金、動物愛護法では2年以下の懲役又は200万円以下の罰金に処される。ただし、動物愛護法違反はその適用要件が難しいので器物損壊罪が適用されることが多いと聞く。
どちらにしても殺人罪の死刑又は無期若しくは5年以上の懲役や傷害罪の15年以下の懲役又は50万円以下の罰金、に比べて余りにも量刑が軽い。
綱吉でなくても、家族同様に可愛がっている犬や猫を殺された飼い主としては、殺人罪や傷害罪と同等の処罰までは望まなくとも、ガラスを割ったり、塀を落書きした場合と同じ罪にしかとえないのは納得できない。
しかし、現代の法では曽野の適用対象を人と物とに分けるが、命のある無しでは分けない。その理由は対象が責任を負えるか否かという基準で考えているからである。
もし犬が殺された時に殺人に準じて考えるならば、逆に犬が人を傷つけた場合、犬にその責任を負わせ、犬を裁判にかけて、犬を刑務所に収容しなければならない。実際に犬に責任を持たせることができないので、代わりに持ち主が責任を取らされる。これが現代の法律だ。
綱吉の生類憐れみの令が悪法とされたのは動物が保護だけされて、その責任を問う法がなかったからだろう。

私は人間の自然な感情からして、ペットとなるイヌやネコに対する傷害を単なる物品の破損と同等に扱うことには納得できない。生類憐みの令とまではいかなくとも、動物愛護法をより運用しやすくするとともに、同法違反者に対する処罰を再考すべきだと考える。
その理由は「生命に対する畏敬」という、人間が社会生活をしていくうえで不可欠な価値観を法に反映させるべきだと考えるからだ。もう一つの理由は動物を虐待する者を野放しにしておくことは、将来の重罪犯を育成することを意味するからだ。
感情移入できる、か弱い小動物を好んであるいは無感情に殺傷できる者は、情性欠如者ないしは異常性欲者である可能性が高い。つまり、動物虐待は単に動物を悼んでいるだけの問題ではなく、私たち人間の社会の平和と安寧に対する重大な脅威と考えるべきなのではないだろうか。
したがって、動物愛護法違反者に対する罰則を厳しくするのは当然だが、それだけでは不十分だ。今は殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつなどの重大犯罪に限られている、心神喪失者等医療観察法に基づく強力な治療を受けさせるべきだと考える。

当院のホームページのキャラクターの愛猫ムックが9月14日未明に18歳の天寿を全ういたしました。

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