人間、それまで卑屈に思っていた部分をくすぐられると、のぼせあがって周囲が見えなくなる。木島香苗のような結婚詐欺の被害者がそうである。それまで異性とのご縁に恵まれず、「もてない」とコンプレックスを持っていた男性が、「そんなことないわ。今まであった人が男を見る目がなかっただけよ。あなたって本当はとっても素敵なのよ。」と囁かれると、舞い上がって冷静な判断ができなくなる。
甘やかされて育った軟弱お坊ちゃんが、「強いな~」、「男らしいな~」という周囲の褒めそやしに乗せられて、おもちゃの刀を振り回してご町内を暴れまくる。虚勢がいつしか実際の強さだと思ってしまい、「強い男の子」こそが自分の真の姿だと確信し、さらにやんちゃをする。
今の安倍晋三は私にはどうしてもこのばか坊ちゃんにしか見えない。だが、本当のばか坊ちゃんならば、塀に落書きをされたり、庭木を折られたりくらいの被害で済むが、安倍はもうすぐ還暦。しかもおもちゃの刀ではなく、圧倒的多数を要する与党党首で総理大臣という肩書を持っているのだから、眉を顰めるだけでは済まされない。我が国の命運がこんなばかな虚勢男に握られていると思うと本当に恐ろしい。
彼は圧倒的な議席数を頼りに、武器輸出解禁、秘密保護法などなど、国民をないがしろにする政策を閣議決定し強権体制を作っている。国民はそれまでの政権に対する反動から、反対を押し切って政策を実行していく安倍政権を「決められる総理」といってもてはやしてきた。その声を聴いて、本人も「できる男」、「有言実行の男」を自認して、ますます勢いづいてついには集団的自衛権の容認まで閣議決定してしまった。超えてはならない一線を越えてしまったのだ。
しかし、彼が本当に強くて、できる男なのだろうか。実像は作られたイメージとはおよそかけ離れた軟弱男だ。東大法学部を卒業後新聞記者として活躍した父、晋太郎とは異なり、晋三は小学校から大学まで受験なし持ち上がりのお坊ちゃん、お嬢ちゃん学校で教育を受けた。大学ではアーチェリー部に所属して、現在全日本アーチェリー連盟の会長におさまっているが、けっして真のアスリートではなく、練習よりも女性を連れ回しての遊びの方に熱心だったと聞く。
卒業後アメリカにわたってからもピリッとしない。語学学校も続かず転校。やっとこ入学を許可された大学も1年満たないで中退している。軟派で辛抱のきかないお坊ちゃんだった。根が軟弱だからこそ、虚勢を張って強い男を演じたいのだ。ばか坊ちゃんのやんちゃもある程度までなら許せるが、彼はついに越えてはならないルビコン川を渡ってしまった。
そもそも法律は国家が国民に対してしなければならないことやしてはならないことを定めているのに対して、憲法とは国家が国民に対してしなければならないこと、してはならないことを定めるものである。つまり憲法とは、ともすると強大となって権力を専横しがちな国(行政)が一定の限度を越えないように縛るものなのだ。
我が国の安全保障に集団的自衛権の行使が必須であるというのであれば、正々堂々と国民に憲法改正の信を問わなければならない。安倍は憲法を改正することなく、自らが縛られるべき憲法を自分勝手に解釈変更してしまった。この姑息で卑劣な手続きは必ずや将来の歴史に汚点となる。
なぜならば、国民が「盗人に蔵の番」のごとき、この暴挙を看過してしまうならば、憲法はなきに等しいものになってしまうからだ。そして時の権力者は何物にも縛られることなく独裁的政治を行うことができるのだ。
この危惧は歴史上すでに実証されている。1933年3月23日にドイツでヒトラー内閣が「全権委任法」を採択した。これによって当時もっとも民主的とされ、その後各国の憲法の模範となったヴァイマル憲法は形骸化され、国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)による独裁が確立された。その後、ドイツは一気に第2次世界大戦に突き進み、世界中が戦火に覆われたことはよくご存じだろう。
今回の閣議決定は我が国の若者が戦死することを是とした。安倍も石破も兵器オタクと聞く。おそらく戦争=死という実感が全くないのだろう。戦争映画でも観ているかのようなバーチャルな危機感しかないのだと思う。しかも、子供のいない安倍(隠し子はいるらしいが)、娘しかいない石破も、自分の子供が徴兵されて戦死することは全く想像できない。まあたとえ息子がいたとしても、そこは権力者。あらゆる手段を講じて兵役から逃れさせるに違いないが。
それでは己は先陣を切って死ぬ覚悟があるのか。あるわけがない。「私は最高司令官として生きぬいて指揮する使命がある」という台詞が今から耳に聞こえる。そんな奴らに若者を死に追いやる権利は断じてない。
だが、いくら私がここで吠えても、国民が目覚めない限り、着実に馬鹿なお調子者たちに乗せられて日本はキナ臭い時代に向かっていく。2009年の長文のコラム「いつか来た道-危ぶまれるテロの時代-」に書いた通り、最近の我が国の動きは太平洋戦争前夜の世相と酷似している。私たちはまた同じ轍を踏むのだろうか。
議員は国民の写し鏡。私たちがもっと賢くならなければ、馬鹿坊ちゃんや号泣男のような議員ばかりになってしまう。
肝に銘じよう。「国大なりと雖も戦を好めば必ず滅ぶ」(司馬法)