投稿日:2014年6月2日|カテゴリ:コラム

輪廻転生とは死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくるという思想であり、ヒンドゥー教、仏教など東洋思想の根底をなす考え方だが、古代エジプト、ギリシャ文明にも見られる。人類に普遍的にみられる生死観と言える。
この考えによるならば、新たな生のためには死がなければならない。古い世代が死んでいかなければ新しい世代は誕生しないのである。つまり、死とは形として存在するものが消失してしまうというマイナスの現象なのではなく、新たなものを生み出すための強力な創造的現象ととらえることができるのだ。
哲学的な思想だけではない。現実の生物学的事実も、魂はともかくとして生のためには死が不可欠であり、生と死が循環して生命というものを維持している。
細胞レベルの輪廻転生は新陳代謝としてよく知られている。すべての細胞は時々刻々と世代を交代している。つまり私たちの体の細胞は常に古い細胞が壊されて新しい細胞に置き換わっている。臓器によって違いはあるものの、基本的に3ヵ月程度でほぼ完全に入れ替わる。
だから厳密には、今の私は3ヵ月前の私とは全く別人と言える。それなのに、以前の私と今の私が同一の「私」と自他ともに認識されるのどうしてだろう。DNAも脳細胞もそれ自身は新陳代謝で常に新しい物質に置き換わっているのだが、その際にDNAや脳の遺伝情報が正確にコピーされるからだ。すなわち不変なのは情報だけで、細胞、物質、すべてのレベルで輪廻転生するのだ。それまで私を構成していた素粒子は他の生物の構成要素となる。それどころか宇宙に飛び出していくものもある。
より大きな時空間のレベルで考えると輪廻転生は生物に限らない。実は宇宙のあらゆる物質は輪廻転生している。太陽系は、それ以前に存在した星が一生を終えて大爆発して吹き飛んだ破片から構成されている。太陽系の一部である私たちの体も昔爆発によって一生を終えた星の欠片からできている(2007年のコラム「星の王子様、星のお姫様」)。星でさえも新しい世代を生み出すためには古い星の死が必要なのだ。

仕事の関係で我が家の夕食は遅い。しばしば9時近くになる。この時間、茶の間で食事をとりながらテレビを観ていると、尿失禁対策のパッド、パンツ、内服薬などの広告を頻繁に目にする。食事中に失禁の話をされると箸の進みが遅くなるが、常識外れの時間に食事している私の方が悪いのだろう。
おもらし用品以外にも、介護付き高齢者住宅、加齢性の禿を対象としたかつらや増毛技術、持病を持った人でも入れる医療保険、果ては墓地に至るまで、老人に狙いを定めた広告がやたらと目にとまる。食事中でなくてもなんとなく気分が暗くなってくる。
これとは逆に、以前画面をにぎわしていた、粉ミルク、ベビーウェア、乳母車といった赤ちゃん用品の広告はすっかりと影をひそめた。

限界集落の問題が報じられてから久しいが、高齢化は地方の問題だけではない。大塚界隈でも通勤時間帯を除くと、昼間街を歩いているのは私を含めてジジ、ババばかりだ。杖代わりの手押し車を押しながらのろのろと歩いている姿も少なくない。若い人たちが颯爽と闊歩していた一昔前と比べるとスローモーションの画像を見ているかのようだ。
先ごろ、民間の有識者会議、「日本創世会議」が、2040年には全国の896の自治体で子供を産む中心的な世代である20代から30代の女性が半数以下になり、最終的に消滅する可能性があるというデータを公表した。しかもその896自治体の中に我が豊島区が含まれている。身近な風景で感じていた我が町の高齢化が客観的数字で示されたというわけだ。
日本創世会議によれば高齢化は若者が大都会に出て行ってしまった地方の村落だけの問題ではなく、若者が大量に流入したはずの首都圏でも急速に進んでいるという。確かに、いくら若者が集まってきたとしても、彼らが次世代を作らなければ、30年もすればその社会は高齢化する。世代の新陳代謝がなければその集団は衰退するのだ。
国も少子化に手をこまねいているわけではない。保育施設の拡充など、子育てしやすい環境を作ろうと努力している。しかし、いくら受け皿を完備しても、生物学のレベルで肝心の子供が生まれなければ何の意味もない。
おそろしいことに、我が国では不妊のカップルが猛烈に増加している。その主な原因は男性の精子数の減少である。まったく精子を作れない男性も少なくなくなった。精子がないのではいくら子育て環境を良くしても少子化は食い止められない。
そして日本人男子の精子の減少傾向は、時期的に我が国の長寿化と妙に符合する。もしかすると、自然の偉大な調節機能が、個としての生命が長く存続すると、種として子孫を残す必要性が低下したと判断して、男子の精子形成能力の低下させるのかもしれない。我が国は世界に冠たる平均寿命の長さを誇っている。だが長生きを手放しに喜んでいいのだろうか。いくら個体が長生きしても、新陳代謝(世代交代)の悪い種に未来はないのだから。
私たち医療人は、人々が少しでも長生きできるように営々と努力してきた。しかし、皮肉なことにその努力は、日本人種を衰退へと導く手伝いをしてきた可能性がある。
輪廻転生がこの宇宙の摂理なのだとしたら、私たち老人は社会に貢献し終えた後は、不必要に長生きせず、潔く新たなる生の礎となるべきなのかもしれない。

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