投稿日:2014年2月10日|カテゴリ:コラム

2012年7月のコラム「どうしてそんなに中に入らいたがるの?」で、もっともらしく見せかけながら、あいまいに言い逃れようする際に「・・・・の中で・・・・・」がよく用いられると述べた。「・・・・の中で、・・・・・」を多用する人には知性を感じない。
多くは、きちんとした日本語を勉強しなかった者が、営業トークとして教え込まれ、いつしか日常的にも使うようになったと思われるからだ。
ところが情けないことに最近、総理大臣や官房長官談話の中にも、この「・・・・のなかで・・・・」をしばしば耳にするようになった。日本を牽引する役目の大臣たちも相当馬鹿が多くなってきたということなのだろうか。
元 来日本語はとてもあいまいな言葉だ。たとえば、日本語の「の」は「僕の手帳」のように英語の「of」で表せる「所有」の意味だけで使われるわけではない。 「at」、「in」、「on」といった「所在」や「時間」の意味もある。「東京の名所」、「午後の授業」といった具合にだ。また、「小匙一杯の塩」という ように「分量」を表すこともある。この他「形状や性質」:「金の壺」、「雨の日」、「for」に相当する「・・・のための」:「子供の本」、「内容」: 「お酒の瓶」、「主格として」:「私の使っていた鞄」、「対象」:「自転車の置場」、「所属」:「東大の教授」、「同格」:「武蔵の国」、「・・・に関す る」:「宇宙物理学の権威」、「・・・による」:「ピカソの絵画」、「人の関係」:「父と母の話し合い」、「from」に相当する「・・・からの」:「父 の詫び状」、「人、物、事を表す」:「そんなのは論外だ」等々、いろいろな意味に使われる。
「の」といえば「of」と短絡的に日本文を英訳すると「of」だらけで外国人には理解不能の英文が出来上がってしまう。だから、和文英訳する際には、言わんとすることを論理的に汲み取って、適切な接続詞や形容詞に置き換えなければならない。
このように、もともと非論理的に傾きがちな「の」に、さらに正体不明の「中」を付け加えるのだからあいまいなことこの上ない。
分かっていてわざと使うならば、何かをごまかそうとする悪意のこもった言葉だし、もしあいまいさを自覚しないで使っているならば、自分の主張そのものをよく理解していないことになる。つまり性格が悪いか頭が悪いかどちらかだ。

「・・・・の中で・・・」のほかにも、過剰な丁寧語には違和感をおぼえる。とにかく「お」や「ら」をつけておけば無難だと思っているのだろうが、度が過ぎると馬鹿にされているようで腹が立ってくる。
た とえば「ご覧になられますか。「ご覧」だけで十分丁寧になっているのだから「ら」を重ねる必要はない。「ご覧になりますか」で十分だ。この他、「お越しに なられる」、「お召し上がりになられる」、「お帰りになられる」等々、「お」と「ら」の重複使用は今や日常的になっている。
そもそも何にでも「お」をつければよいと勘違いしている。たとえば「お靴」とか「お鞄」とか、物に対して「お」をつけたり、「料金をお支払いします」とか「今日はお休みさせてください」のように、自分の行為に対しても「お」をつける場面にしばしば遭遇する。
「社長様」、「院長先生様」のように職名と様との重複も相手を小馬鹿にした二重敬語だ。
そ うは言っても、敬語や謙譲語の使い方は厳密に考えるととても難しい。私自身常日頃正しい敬語を使えているとは思わない。きっといろいろな場面でみっともな い会話をしているに違いない。ただ、基本的に相手を立て、自分は遜るという原則と、その時の状況に応じて丁寧さの程度を変えようと努力はしている。

明らかに間違った敬語で、しかも聞いていて「・・・・の中で・・・・・」以上に耳障り、いや気色の悪い会話がある。それは自分の妻のことを「うちの奥さん」、「僕の奥さん」と呼ぶ表現。「奥さん」は女性に配偶者を指す尊敬語だ。
だ が、配偶者は社会の中では一単位として扱われる。家の中で尻に敷かれて「奥さん」と呼んでいるのは勝手だが、他人に対して「奥さん」というのは聞いていて 気持ちが悪い。自分のことを「○○さん」と言っているのと同じだということに気が付かないのだろうか。さらに、妄想逞しい私は、なんだか寝室の二人の姿が 浮かんできて気恥ずかしくなる。
愛している配偶者に「うちのかかあ」、「うちの化けもん」はあまりにも失礼かもしれないが、せめて「うちの家内」、「うちの妻」、「うちのかみさん」程度に遜ってほしいものである。

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