投稿日:2010年12月20日|カテゴリ:コラム

このところ市川海老蔵の傷害事件がスポーツ新聞、週刊誌、ワイドショーを賑わしています。市川家(成田屋)は歌舞伎の市川流の家元であり、市川一門の宗家でもあります。
初代市川団十郎は江戸、元禄年間に活躍した役者で、歌舞伎に荒事*1芸を導入した人物です。海老蔵の父親は第12代目に当たり、実に350年も続く梨園の名家なのです。
市川家では海老蔵がやがて団十郎を襲名することになっていますから、彼は近い将来第13代団十郎となる男です。しかも、最近の役者の中でも特に二枚目の呼び声が高く、人気も抜群で最近の歌舞伎ブームの立役者でした。
これからの歌舞伎を背負うであろうその男が、仕事をすっぽかして明け方まで飲み呆けた挙句に傷害事件に巻き込まれて、役者の命である顔面に大怪我を負ったというのが、今回の事件のあらましです。
事件のあった場所、事件に関与した者はほどなく分かりましたが、ことの成り行きがいっこうに明らかにならないために、この事件はいつまでもマスコミの格好の材料でした。つまり、海老蔵が暴走族上がりのチンピラに一方的な暴行を受けたのか、はたまた海老蔵が先に彼らに乱暴を働いた結果、報復を受けたのか、関係者の主張が分かれたために騒ぎがいつまでも鎮まらなかったのです。
海老蔵が被害届を出したために、相手側の加害者とされる人物への逮捕状が出されました。すんなりと逮捕されて事情聴取が行われれば真相がはっきりするはずでしたが、警察がいつまでたっても強制逮捕に踏み切らなかったために、話はややこしくなりました。
そこへ持ってきて、海老蔵側がが事態収拾のために開いた記者会見がさらに混乱に拍車をかけてしまいました。それまでの海老蔵像とはかけ離れた、お公家さん顔の海老蔵が無表情で、自分は一方的な被害者であると強調したからです。
あまりにもとり作られたお利口な対応ぶりは、海老蔵側の思惑とは反対に多くの人々に海老蔵の主張に対する疑惑を増大させる結果となってしまいました。因みに、記者会見の映像を見た小学生の大半が「あの人嘘ついてる」と言ったそうです。
「酔った勢いで私も粗暴な行為があったかもしれません。世間をお騒がせして誠に申し訳ありませんでした。」と、素直に自分の非を認めてしまえば、「さすが海老蔵。伊達男。」とかえって評判を上げたと思うのですが、あのお公家さん顔は何ともいただけません。
あのような小賢しい演出に走ったのは、海老蔵自身が「俺は将来人間国宝になる」と口にしていたことに象徴される、勘違いによるものではないでしょうか。歌舞伎役者は地位も名誉もある、下々とは一段も二段も違う高いところに住む人間だという勘違いです。

歌舞伎は1603年(慶長8年)に出雲阿国(いづものおくに)が傾奇者(かぶきもの)の風俗を取り入れたかぶき踊りを京都で行ったのが起源とされています。傾奇者とは戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮です。特に慶長から寛永年間(1596~1643)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した、異風を好み、派手な身なりをして、常軌を逸脱した行動に走る者たちのことを言いました。
当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だったのですが、傾奇者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好みました。
多くは徒党を組んで行動し、飲食代を踏み倒したり因縁をふっかけて金品を奪ったり、家屋の硝子を割り金品を強奪するなどの乱暴・狼藉をしばしば働きました。
また、辻斬り、辻相撲、辻踊りなど往来での無法・逸脱行為も好んで行って、衆道や喫煙の風俗とも密接に関わっていました。こうした身なりや行動は、世間の常識や権力・秩序への反発・反骨の表現としての意味合いがあったそうです。
傾奇者たちは乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいました。多くは身分の低い町人や武家奉公人の若者でした。やがて、幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなって傾奇者は姿を消していきますが、その行動様式は侠客と呼ばれていた無頼漢たちに、そしてその美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれたのです。

海老蔵は新之助時代から天衣無縫な言動で知られていました。目上の者に不遜な言葉を吐き、当たるを幸い美女を籠絡して、妊娠させても「ああそうですか」と空とぼけた態度。今回問題視されている酒の上の悪行だって今に始まったことではなく、業界では酒乱で名が通っています。一方、舞台の上では目の肥えた歌舞伎ファンを唸らせるほどの天分を持っています。いいにつけ、悪いにつけ、まさに「傾奇者」の真骨頂を発揮していたのです。
一方の、加害者とされる男たち、元暴走族の無頼漢で、六本木界隈を根城に組織暴力団以上の暴れぶりをしていたグループの男たちです。暴走族はおそろいの出で立ちでバイクを改造して、大音響で徒党を組んで街を走る。こちらも市民から嫌われようが、警察から追われようが、とにかく目立ちたいわけで、こちらも立派な傾奇者です。

つまり、今回の騒動は傾奇者同士が酒の上で喧嘩したというだけの話であって、警察に被害届を出して、逮捕云々の話ではないのです。お互いに仲介者の元に話し合って、適当な落とし所でかたをつければよかったのだと思います。
ところが海老蔵側が自分を人間国宝だとか梨園だとか勘違いして、突然お公家さんに変身しようとしたから大騒ぎになっただけのことです。
私は、海老蔵は今回の対応で大いに男を下げたと思います。傾奇者失格です。一方、伊藤リオンたちは大いに傾いて見せて、ある意味男を上げたのではないでしょうか。
本来、芸人は昔から河原乞食と呼ばれ、どんなに芸に秀でていようが所詮決して高貴な職業とは言えないのです。それなのに、自分の口から「国宝」なんて言葉を吐くまでに彼を勘違いさせてしまった責任は世間にもあるように思います。世間が歌舞伎をいつの間にか河原から雲の上に祭り上げてしまったからです。
人格者でお公家さんの海老蔵を観るよりも、いつまでも傾奇者の海老蔵を観ていたいと思うのは私だけでしょうか。
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*1:荒事:超人的な力を持つ勇者。多くは勇猛粗暴な性格の持ち主として描かれ、非現実的な霊力によって悪人を退治する江戸歌舞伎独特の役柄。出し物としては「暫」、「鳴神」、「勧進帳」などがある。市川家に継承されている。

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