バベルの塔をご存じでしょうか。旧約聖書の「創世記」の中に描かれている巨大な塔です。天まで届く高いこの塔を作ろうとした人々は、神の怒りにふれてお互いの言葉が理解できないようにされました。意思の疎通ができなくなった人々は仕方なく世界各地に散っていったという話です。
いつの世でも巨大な建築物は権力と文明の象徴です。この絶大な権力と文明は一見、人々を幸せに導くように見えますが、実は大いなる混乱の源に他ならないという教訓です。
墨田区押上に建設中の電波塔、東京スカイツリーが去る3月29日についに338mに達し、これまで日本一の高さを誇っていた港区芝にある東京タワーの333mを抜いて日本一の座を獲得しました。来年暮れあるいは再来年春の竣工時には何と634mの威容を誇ることになるそうです。
このバカ高い電波塔は来年7月にテレビ放送が完全にデジタル化されるにあったって建設されることになりました。1970年台からの高度成長経済とともに都内では200mを超える超高層ビルが続々と建設されたために、現東京タワーからの放送では電波が遮断されたり反射されたりする電波障害が広がってしまったからです。したがって、高さは既存の超高層建造物を圧倒的に凌ぐ高さでなければ意味がありません。
52年間保ってきた王座の地位をスカイツリーに譲った東京タワーも昭和33年の建設当時は東京の多くの場所から眺めることができたほど、群を抜いた高さだったのです。
映画、「ALWAYS三丁目の夕日」、「ALWAYS続・三丁目の夕日」は多くの観客を動員して、その後のテレビ放送でも高い視聴率を上げています。涙腺の脆い私はこの映画を観るたびに涙ぐんでしまいます。それは温かい涙ですが。
この原作漫画はかなり以前から、ビッグコミックオリジナルで毎回欠かさずに読んできました。たった数ページの漫画の誌面からでも、何かとても温かいものを感じるのですが、俳優達の演技、サウンドトラックが加わると、その甘酸っぱさはさらに数倍に膨れ上がります。
私の心を温めてくれる最大の理由は映画の時代背景にあるのだと思います。昭和25年生まれの私はちょうど映画の淳之介と似通った年だと思います。いわゆる団塊の世代です。さらに舞台となっている町は東京タワーの見え方からして港区の古川橋から金杉橋にかけてのどこか。おそらく三田通り界隈だと思われます。私の生まれ育った実家は鈴木オートよりももう少し南へ下った白金台町(現在の白金台)にあります。この映画を観ると、自分が生まれ育った頃の懐かしい思い出とオーバーラップするのです。そしてその生々しい情景が私の涙腺を刺激するのでしょう。
港区も終戦直前の空襲を受けました。私の母は生後間もない兄を抱えて軍の火薬庫跡地(国立科学博物館附属自然教育園)へと避難したそうです。そんなわけですから、東京タワーが着工された昭和32年当時はまだまだ周囲には焼け跡の空地が数多く残っていて、視界を遮る高い建物などほとんどありませんでした。小学校の帰り道に空地に残った防空壕に入って遊んだものです。
ですから我が家から、完成した東京タワーを眺めることができたのは言うまでもありませんし、建設途中の鉄骨の組み上さえ見ることができました。防空壕の残る空き地から天に聳えるタワーを見るというのは、今から考えると実にアンバランスな風景ですが、当時小学校生であった私は何の違和感も無く空を見上げていたものです。
やがて、東京オリンピック、大阪万博などが開催されるのと並行して霞が関ビル、京王プラザホテルと次から次へ超高層ビルが建築されました。こうして私たちの視線が上へ上へと向かっている間に、焼け跡からは私たちの遊びの際の砦であった防空壕が撤去され、盛り場や省線(山手線)の傷痍軍人、上野の地下道の戦争孤児がいなくなり、都電やトローリーバスが車に追い出され、気がつけば超高層ビルの林立する近代都市に生まれ変わっていました。
莫大なエネルギーを消費して不夜城となった現在の東京は、極めて効率的で便利な街になりました。しかし、その一方で多くのものを失ってしまったように思います。
昔のしもた屋はすべてマンションに様変わり、そこに住む住人も総入れ替えで地域のつながりは消え失せました。肌の温もりを感じない、冷たいコンクリートの街になりました。人々はただただ慌ただしく動き回り、何でも手に入る半面、些細なことでは喜びを感じなくなりました。
当時の私は、東京タワーの完成を輝かしい発展の第1章だと感じていましたが、もしかすると神の与えた「混乱」の始まりだったのかもしれません。
東京スカイツリーの建設される隅田川沿いは今でも、東京の原風景とともに下町人情が残る数少ない地域です。スカイツリーの完成で同地域の活性化が期待されていますが、これまで死守してきた貴重な無形の何かが失われないように十分に気をつける必要があります。
スカイツリーをバベルの塔にしないためには、便利さと引き換えに失われていくものに対して日頃からもう少し注意を払わなければならないでしょう。