先週は21日(月)から23日(水)までが祝日となったので、20日(日)と合わせると4連休。一般的に土曜日が休みのサラリーマン諸氏にとっては19日(土)から5日間の大型連休となった。
お盆休みから1ヶ月そこそこでの大型連休は懐具合からはちょっと厳しいものがあるが、子供たちは大喜びだったと思う。いや、私たち大人にとってもこの9月下旬は過ごしやすい時期なので、盛夏のお盆休みよりも有意義な休みだったのではないだろうか。私も今回、シルバーウィークを極めて有効に活用させていただいた。
さて、このシルバーウィーク、毎年5連休になるわけではない。昨年は3日間だったし、来年は日、月の連休の後2日跳んで木曜日がまた休みになる。
それではなぜ今年は5連休になったのかといえば21日の月曜日が敬老の日の祝日で、とんで23日の水曜日が秋分の日の祝日。そこへ1988年に改正された国民の祝日に関する法律(祝日法)第3条第3項が適用されて2つの祝日に挟まれた22日の火曜日が国民の休日となったためにかくも長期間の休暇となった訳だ。
こういったことを調べているうちに私たちが普段日曜日以外の休みの日を祝祭日と言っているが、どれが祝日でどれが祭日なのだろうか。
祭日とは天皇が執り行う宗教的に大事な祭事に合わせて国民が一緒に休みをとってお祝いする日だ。
敗戦によって戦後、元始祭(1月3日:皇位の元始を祝う儀式)、新年宴会(1月5日:新年の到来を祝う宴会)、神武天皇祭(4月3日:初代天皇である神武天皇の崩御日)、神嘗祭(10月17日:五穀豊穣の感謝祭)、大正天皇祭(12月25日:大正天皇崩御日)などの祭日が廃止された。
現在残っている祭日は2月11日の建国記念の日(紀元節祭)、3月19日~21日の春分の日(春季皇霊祭)、昭和の日4月29日の(昭和天皇誕生祭)、9月22日~24日の秋分の日(秋季皇霊祭)、11月3日の文化の日(明治節)、11月23日の勤労感謝の日(新嘗祭、)、5日だけだそうだ。今上天皇陛下の誕生日は祭日ではないのだそうだ。
因みに紀元節は神武天皇の即位日、春季皇霊祭は五穀豊穣を祈る行事、秋季皇霊祭は臭覚に感謝する行事、明治節は明治天皇の誕生日、新嘗祭は収穫祭で天皇が五穀の新穀を神に進め自らもそれを食する行事である。
天皇の祭事には当たらないが、国民がこぞって祝う日を祝日として定めている。その祝日が以下のとおりだ。
元日(1月1日)、成人の日(1月の第2月曜日)、憲法記念日(2月11日)、みどりの日(5月4日)、子供の日(5月5日)、海の日(7月第3月曜日)、敬老の日(9月の第3月曜日)、体育の日(10月第2月曜日)、天皇誕生日(12月23日)。
以上、祭日と祝日を合わせて15日の祝祭日が制定されている。さらに1973年から国民の祝日が日曜日にあたる時にはその翌日の月曜日を休日とすると1973年に法改正した「振替休日」と、先ほど述べた2つの祝日に挟まれた「国民の休日」が加わって、その年の休日が決まる。
端から日付が確定している日と、曜日で決まる日、さらには春分の日と秋分の日のように地球の動きで決まる日が混在するために、その年によって休みの日数が異なってくる。
さらに極めてまれにではあるが皇室関係の大きな慶弔行事執り行われる場合はその年限りの休日が設けられる場合がある。1959年4月10日の皇太子明仁親王の結婚の儀、1989年2月24日の昭和天皇大喪の礼、1990年11月12日の即位礼・正殿の儀、1993年6月9日皇太子徳仁親王の結婚の儀などである。
改めて休日について考えてみると、日頃忘れているが、私たち日本人の生活は深く天皇の寿ぎ、祈りと密着していることを痛感させられる。
そういえば私が幼少の頃は日曜日以外の休みの日は祝日だとか祭日だとか言わずに「旗日」と言って、と正月三が日には街中に日の丸が掲げられていたものだ。各家庭の紋や玄関わきには必ず国旗を掲揚する台座が備わっていた。
ところが昭和40年代の頃から国旗を掲揚する家は減少していき、今や国旗を所有している家庭の方が少ないのではないだろうか。
なぜ、国旗掲揚の習慣がかくなったのだろうか。私見であるが、おそらくは60年安保、70年安保闘争や活発な日教組集会に対抗する右翼団体が大きな日の丸を掲げたことから、「日の丸」=「右翼」という誤った観念が定着したことと、一戸建て住宅が減少して集合住宅が主流となって国旗を掲揚する場所が無くなったことによるのではないかと考える。
祝日に国旗を掲揚するのは決して右翼思想ではない。世界中の国のほとんどの国民が行っているごく当たり前の愛国の表現だ。古き良き日本の復権を目指すならば、憲法違反をしてまで戦争可能な軍隊を整備する以前に、祝日に国旗を掲揚する習慣を復活させることの方が大切ではないだろうか。旗日の復権だ。
我が家もこれからは祝日に日の丸を掲げることにしようと思う。