投稿日:2015年8月24日|カテゴリ:コラム

各分野に精通して見識が高い人のことを有識者と言う。さらに見識とは物事の本質を見通す、優れた判断力また、ある物事についてのしっかりした考え、見方、識見のこと。
平たく言えば、その道の第一人者で、その事項に関してはその人の意見を尊重しておけば間違いないと言う存在である。

さて、ようやく招致した2020年東京オリンピックがのっけからケチの付きどおしだ。これでは「おもてなし」ではなく「おさがわせ」だ。
まずはメインスタジアム。実施設計作業に取り掛かったところコンペ募集要件である予算額の3倍近い額がかかることが判明して大騒ぎ。すったもんだの末、白紙撤回となった。結果、工事日程は大幅に短縮を余儀なくされて、これからの日程を考えると当分の間やきもきしなければならない。しかも、数十億円もの経費がどぶに捨てるように消えてしまった。
競技場の問題が何とか一段落したと思いきや今度は東京オリンピックのシンボルであるロゴマークの盗作疑惑が湧きあがった。
盗作元とされるベルギーの劇場のロゴマークは商標登録されておらず、全くのコピーとは言えないように見えるので、法的な争いで負けることはないと思われる。しかし、この盗作疑惑が問題化したことによってデザイナ―、佐野研二郎氏の過去の作品に次々と疑惑の眼差しが向けられるようになった。
サントリーの景品の作品の中には明らかにパクリと思われるものが少なくない。だが、個々の作品について一つ一つオリジナリティを議論したところで、「そんなものは見たことがなかった」と言い逃れれば、それを覆すことは困難だ。こういう問題は、理屈より感じることの方が真実に近づくのではないだろうか。と言うわけで、素人の私が彼の一連の作品を見て思うのは、佐野氏が極めて胡散臭い人物だということだ。

まがりなりにも設計士を名乗っていながらおよその経費も計算できずにただお絵かきだけをしたザハ女史も、オリンピックのロゴマークには世間から厳しい目が注がれることを忘れて恥ずかしげもなく怪しいデザインを応募した佐野氏も非難されて当然だ。しかし、私は彼らよりも選考委員に名を連ねていた有識者と称する連中がもっと非難されるべきだと考える。
競技場設計の選考委員長だった安藤忠雄は「私はデザインを選考しただけ」などと寝惚けた言い訳をしているが、デザインだけ審査するならば建築設計士の肩書を持つ安藤である必要はない。
ロゴマークの選考委員会も同様だ。たとえ商標権はクリアしていたとしても、同業者ならば佐野氏のこれまでの商法を知り、オリンピックロゴと言う厳しい評価にさらされる作品にふさわしい人物かどうか知っていたはずだ。
一説によると、選考委員のうち2名が彼と利権関係にある人物であったらしい。何をか謂わんやである。
私はこれまでに医療の世界にはびこる製薬会社の御用学者について述べてきた。だが、御用学者の横行は医療の世界だけのことではない。福島第一原発事故で原子力村に巣食う御用学者の存在が明るみになった。
金や名誉のために学者としての矜持を失い、まことしやかにスポンサーの意に沿った専門的見解を述べる学者は何も医療や原子力の世界だけのことなのではないだろう。おそらくあらゆる分野においてこういった怪しげな有識者が幅を利かしているものと思われる。

こういった有識者を集めた会議の中で最も噴飯ものなのは内閣が設置する諮問会議。総理大臣が提灯持ちの有識者を招集して自らが議長を務めて、予め想定してあった結論を出す。そしてこの結論を以て、これまた総理大臣が議長を務める閣議で了承を得ると自動的に政府の政策となる。
今や和製ヒトラーとなりつつある安倍が招集する結論ありきの諮問会議は8つもある。この国民の意を反映しない会議で次から次へと自分勝手な政策を作っているのである。
こういった諮問委員会の委員には提灯持ちのほかに利益誘導者もいる。この代表例は産業競争力会議。ここで、大手人材派遣会社の会長を務めるあの竹中平蔵が「派遣法改正」、「残業代ゼロ法案」、「裁量労働制拡大」など、自らの会社を利する政策をつぎつぎに決定していった。
そして有識者会議は責任の所在をあいまいにする実に巧妙なシステムでもある。何か不都合な事態が起きた時、政府は有識者のご意見に従ったと弁明し、有識者は私は意見を述べただけで決定したのは内閣だと言い逃れる。
このいい例が原子力安全委員会だ。委員会は現在決められた安全基準を満たしているかどうかを審査するだけと言い。政府は安全委員会のお墨付きが得られたから原発再開すると言う。
有識者ほど怪しげな存在はない。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】